山の向こうに雪模様。それが、流れてきて、小雪舞う墓参りになりました。
どうしても今日しなくてはならなないこと、できたら今日やっておきたいこと、明日でもいいと思えること。
優先順位をつけても、年末の雑事は尽きません。
こんなことも、だんだんにがんばれないようになっていくのだろうなぁと思う古希の年の瀬です。
それでも、子や孫が集まるとなれば、寝正月を決め込むこともできずに、今から台所に張り付く日が続きます。
これも、幸せの一つの形。味あわせてもらえるうちは、やっぱり頑張ってしまうのです。
早朝、台所仕事をしながら、NHK「知の巨人、最後の言葉 ~半藤一利、立花隆~」を見ました。
今年、鬼籍に入られたお二方です。
立花さんは昭和を語るには欠かせない知の権化でした。
一方、生前は存じ上げなかった半藤さんのことを、お亡くなりになった時の映像で知りました。彼が言いたかったことを知って、もったいないことをしたと思った次第です。
その勉強量を支えられた奥様がエッセイストと、これまたその後に知って、本屋で平積みになっていた『硝子戸のうちそと』という本を買ってしまいました。
本を買おうか、止めておこうかと逡巡するとき、思わず手が伸びるのは、帯に記されているキャッチーな言葉ではないでしょうか。
「彼のおかげで愛というものを知りました」
これ以上ない上手い言葉で鷲掴みにされたために、あっさりレジに持っていくことになりました。
著者の半藤末利子さんは六十の手習いで始めた物書きとはいえ、お爺さまはあの夏目漱石ということですから、その筆力はお墨付きです。こういうレッテルは要らないとご本人がおっしゃっているのに書いてしまいました。ごめんなさい。
軽妙なというか、洒脱な文章がついつい身を乗り出させます。
勉強と読書を仕事にする人は口数少なく存在自体が重いように思っていたのですが、この本からは、ずっと空気の通りがよさそうなご家族の雰囲気が感じられました。
心底、愛し合ったご夫婦だったのですね。
「来世があるなら、私はまた夫のようにぴったりと気の合う、優しい人と結ばれたい」と結ばれていました。
朝のテレビで生前の半藤一利さんは、「勉強しなくてはいけない」。戦争を再びするようなことにならないために、勉強しなさいとおっしゃっていました。
そのことは、奥様にも遺言としてお伝えになられたようです。「墨子を読みなさい。彼は二千五百年前に戦争をしてはいけないと言ってるんだ。偉いだろう」と言って逝かれたそうです。
私も『墨子よみがえる』(半藤一利著)を読んで、知の巨人を偲んでみたいと思っています。
立花隆さんも、半藤一利さんも口を揃えて、勉強しなさいと言い残されています。
その目的は平和な世界をつくるためです。
戦争のない時代に育った者のつとめとして、この平和を繋ぐ一員としてせめて祈り続けていきたいです。
すべての人によい年が巡ってきますように祈り上げます。