朝刊の「朝の詩」に子どもの詩が載る日は気持ちが和みます。
今朝も、「おいたん、おいたん」とお兄ちゃんを呼ぶ2歳の坊やの詩が掲載されていたので嬉しくなってしまいました。
というのも、我が家にも「~たん」が2人います。
同居している孫は3人で、上の男の子と一番下の女の子がいまだに「~たん」で、真ん中の男の子は「~ちゃん」です。
上の孫が生まれた頃は「ノンタン」シリーズが流行っていました。「ノンタンのクリスマス」などは、どれほど読んでやったことか。懐かしいことです。
朝刊の坊やも「ノンタン」知ってるのかな?
それとも、「~たん」は子どもが発音しやすい言葉なのかな?
「ママ!」と呼んで振り向かせたい、というように、子どもの言葉の獲得は、呼びかけたいもの順のような気がします。
幼少時の目標に真っ直ぐな熱い思いは、この先ずっと大人になっても続いて、いのちを動かす根源であり続けます。
今月号の「致知」に箕面自由学園の校長先生が取り上げられていて驚きました。
我が家の隣ともいえる場所にある学校で、「あんた、見て!あそこの学校の子はみんな足が長いなぁ。毎日あの坂道を上ってるからかな」と母が感心していたことを思い出します。
その昔、まだ、あの坂道が赤土の泥道だったころから知っている者としては、どんどん整備されていく学園に目を見張るばかりです。
その校長先生ってどんな方なんだろうと興味深々で読ませてもらいました。
あの経営者は、ただ者ではないとは想像していましたが、やはりMBAを取得されていたのですね。しかも、他業種からの転向組。
教育は一本調子では適わない時代になりました。
教育学部出身というだけでは先生が勤まらない時代です。
中高生ともなると、デジタルネイティブの彼らのほうが上位という時代になっています。上下関係を重んじた私達の親世代なら信じられないことが教育現場で起こりつつあるのです。
地球上のすべてのシステムに変革が迫られている。そんな時代の学校経営は、明日を待てないスピード感が必要なだけに、校長先生のお仕事は大変なことと思いました。
その中で、「不易」という変わらないものと、「流行」という時代の変化についていくという2つを意識されている校長先生がいらっしゃることに安心いたしました。
進化論のダーウィンは、「変化に適応したものが生き残る」と言っています。彼の発見した真実は時代を越えて生き続けてきました。
21世紀の変革の時代にも、永遠の真実を見つける子どもがきっと出てきてくれると期待しています。
この変化の波に乗って生まれてきた子どもたち。乗り遅れないようにがんばる親世代。しがみつくのが関の山の老人。
力尽きるまで手を離さないで生き抜きましょう。