こころあそびの記

日常に小さな感動を

いつまで?なんのために?

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 朝の散歩しながら考えるには重いテーマでした。
 朝刊の「朝の詩」で83歳男性が訴えられていたのです。「ホントにこれだけの薬を死ぬまで飲まなきゃならないのかね」と。
 これは、毎日、患者さんに処方箋通りに投薬している私の中に常にあるテーマでもあります。
 
 「早期発見早期治療」「ニキビは皮膚科へ」「脱毛症のお悩みは」と、医療が宣伝をするようになって、人は自分のいのちを他人である医師に全面的に丸投げすることが正しいのだと洗脳されてしまいました。
 服薬さえすれば生まれた時のようなまっさらな身体になれるなんて努々期待されておられないとは思うのですが。
 「先生。この薬いつまで飲まんとだめですか?止めたいんです」と訴えて了解してくれる医師は少ないはずです。その人の身体の中を血液検査の数値で診るように教育されたのですから、検査結果から指導されるのは当たり前です。
 
 『70歳が老化の分かれ道』(和田秀樹著)の中で、和田先生は「70歳になったら、相性のよいドクターをさがすべし」と書いておられます。
 全く同感です。毎月、叱られないかな、怒らせたらどうしようとドキドキしながら通えば、寿命も縮まります。
 ゆったりと和やかに相談に乗ってくださる先生を選ぶべきです。
 でも、そこに保険医療の難しさがあります。病名をつけずに薬の処方もせずに相談だけしていたら、お医者さんの収入はなくなってしまうのです。
 厚生省、医師会、製薬会社の三方よしで医療は回るように出来ています。
 
 その輪から抜け出せばよいだけですが、その決断には、覚悟が要ります。なにも、医療のご厄介にはならんぞと頑なにならなくても、必要な時に必要な分だけ受けたらよいのですが、なかなかハードルが高いように見受けられます。
 しかし、自分のいのちは誰のものでもなく、自分のたった一つのいのちです。老齢になるまで、沢山の他者に貢献してきたのです。最後くらいは自分のことをいちばんに考えてもよいのではないでしょうか。
 一人生まれて一人で死んでいく。この孤独な旅を共にしてくれる者はいないのですから。

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 最後に、年明けに来られたら患者さんのお話から。
 89歳の腰の曲がったお婆ちゃんが98歳のお爺ちゃんのお世話をされています。
 今、話題の老々介護です。
 このお婆ちゃん、気難しくて人に弱音を決して吐かない方でした。去年までは。
 ところが、先日来られた時に、ポロッと恨み節。
 なんでも、暮れにお爺さんが寄りかかってきて、支えきれずに共倒れしそうになった話を初めてなさいました。誰かに聞いて欲しかったのでしょうね。
 限界を感じられた様子です。
 彼女が受け取るお爺ちゃんの薬の量が半端ないのです。それを仕訳して毎回飲ませるお婆ちゃんの根気良さは表彰状ものてす。
 98歳になったとき、あなたは薬を何種類飲めますか?
 何のために飲みますか?

 いつ、薬を止めるか。もしあなたがいのち丸投げ型なら、今から考えておくべき大切な事です。