こころあそびの記

日常に小さな感動を

分包機が壊れた日

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 「分包」といって直ぐに分かる人は医療関係者か老人施設の方でしょう。
 分包とは、服用する薬を一回分ずつ一つの袋に入れることです。一度に飲む薬の量が多い人や、入院中や施設入居中の方に施して、間違いなく飲んでいただくための工夫です。
 こうすることで、飲み間違いや飲み忘れを防ぐことができます。
 昔は、いかに正確に早く薬包紙に包めるかを薬剤師の技量としていたこともありました。ある意味、手先の器用さや几帳面さがものをいう時代でした。
 その後、分包機が日進月歩の進化を繰り返し、今や自動分包機が、町の薬局にまで入り込むようになりました。
 先日、週一で行く店で分包していたら、働き者の分包機が遂に壊れました。ここの分包機は朝から晩まで休むことなく働き続けていたので、いよいよ社長も最新型を導入せざるを得なくなって、新しい機械が運び込まれたところでした。
 そのとき、機械にも心があることを否応なく察することになり、ちょっとセンチになりました。
 私はもうお役ごめんでしょ。壊れてもいいよね。という言葉が聞こえてくるようでした。その心は、拗ねたのか、それとも本当に疲れたのかどっちだったのでしょう。
 新しい機械を横目に涙していなければよいのだけど。
 与えられた仕事を十分に全うしてくれたことは誰もが認めています。あちこちガムテープが貼られ、液晶画面は色が薄くなって見えない状態。まさに満身創痍でした。

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 引き際を知る。人生においてもそんなタイミングを経験する場面があります。
 恋人と別れる時。職場を後にするとき。子供を送り出す時。定年がやってくる時。
 中でも、あの世への旅立ちの時は、どんな気持ちなのでしょう。
 母は私の娘に「もう、ばっちゃんは長くないから」と言っていたといいます。
 機械が、もう私の出番はないでしょと悟ったように、人間もその日を感じるものなのかもしれないと思ったりします。
 一人寂しく、その日を感じていた母に何かかける言葉はなかったのか。機械にさえこれだけいろんな思いを抱くのに、なぜ、彼女に心をかけることができなかったのか。
 でも、それが私たち母娘でありました。そのおかげで、天国にいる母の御霊にこうやっていつも話しかける娘でいるようになったのですから。