今週の水曜日は厄神さんの大祭です。
その日にお参りできないので、息災に過ごせたお礼と孫の合格祈願に行ってきました。
ゆっくり歩いていると、あるお宅の門の側に植わっている木に小鳥が群れていました。なんと、今年初めてメジロと遭遇。
小鳥たちは、早々と春を感じて動き出しています。人間も、日々明るさを増す自然に遅れを取らないようにしなくてはと思ったことでした。
上の写真は娘の小学校の同級生のお寺の掲示板です。
いっぱい知ってるから偉いんじゃない。
何になったかではなく、どう生きたかが大切です。それが、自分の中の幸せスイッチをオンにする唯一の方法だと、昨晩の二人もおっしゃっていました。
昨夜の「スイッチインタビュー」はYOSHIKIさんと写真家のレスリーキーさんの対談でした。
YOSHIKIさんの、あの有名な両手で顔を隠すような仕草の写真はレスリーキーが撮られていたことを初めて知りました。大好きだった朝ドラ、『半分、青い』の永野芽郁さんが画面から飛び出すような写真も、それから、今晩放送の「鎌倉殿の13人」の小栗旬さんのスチール写真も彼の作品だったのです。
レスリーキーさんは、たくさんの試練を糧にしてこられたようです。父親はなく、母親を幼少時に亡くし、養護施設で育ったそうです。
母親の残してくれた形見のカメラでインドの人々を撮ったことから、生きることに目覚めたといいます。
インドの子どもたちの笑顔から生きる喜びを学んだから、これを仕事にしようと考えたそうです。
YOSHIKIさんはいいます。
「よく、折り返し地点なんていわれるけれど、僕は人生はゴールまで一本道だと思う。
つらい時、それを乗り越える方法はと聞かれても、僕は乗り越えられないとしか言えない。血を流しながら痛みと共存しながら、前進しているとしか言えない」
アーティストという道を選んだ人の壮絶さは、凡人には計り知れません。
それでも、自分の作った、撮った作品が、人を喜ばすなら、それが自分の喜びになるとお二人とも話されていたことが印象に残りました。
上の写真は、散歩途中、小学校のフェンスに張り出されていた『命』という詩です。
自分が毎日だらだらと書いているのが恥ずかしくなるような、理路整然とした「いのち」のあり方です。
これ以上に足す言葉は要りません。
一人でも多くの人に感じてもらいたい詩です。