これ、「篆刻、書画の会」で大形徹先生が書いて下さった字です。
なんと書いてあるでしょう?
「雪・月・花」です。
もし、この言葉が、草書や楷書で書いてあれば、随分違った趣になるはずです。部屋に飾れば、禅の緊張感が漂うものになるでしょう。
ところが、こんな古代文字で書くと、なごみの書になってしまいます。これを見た人は、かわいい!とかオバQみたいなどと感想を言ってくれました。
「雪」は雪が点々と降っているようです。
「月」は誰もが「これは月!」と言い当ててくれます。
「花」はちょっと難しいかな?
この書体は決して無勝手流ではなく、篆書体です。
書道家は「書体辞典」を必携して字体を決めることもありますが、大形先生は篆刻書画の大家である斉白石の孫弟子ですから、サラサラと書いてくださいました。
漢字の世界も奥深いものです。今は、試験という制度のおかげで、統一された漢字を使っていますが、それにまとまるまでには多くの変遷がありました。
古代中国では甲骨文字が使われました。
牛の肩甲骨など大きな骨を炙って割れた線の様子から吉兆占いをしました。その経緯を骨に刻んだ文字が甲骨文字です。
蛇足ですが、「甲」というので亀の甲羅を想像しますが、本当は牛などの大型動物の骨らしいです。
それから、書体にも誤解があります。
小学校に入って最初に習う字が楷書なので、つい楷書が先にあって、それを崩したものが行書、草書へ移り変わっていったと考えがちです。
知らなかったのですが、篆書から隷書へ。その隷書を早書きしようとして草書になったそうです。
草書を臨書しようとしたら、筆の入れ方や墨継ぎなど仮名文字に似た運筆があるように思います。腕を自由に動かした時代の字に惹かれます。
そして、いよいよ「雪月花」です。
この三つの字はたまたま形を象った象形文字から誕生したようですが、漢字の中で象形文字は少数派であることも意外なことです。
しかし、よくよく考えてみれば、この世に形のあるものなど限られているわけで、形のないものを如何に表すか。「上」とか「下」とか。それを考案した古代の人の頭の柔らかさに敬服します。
昔、お習字を習うといえば、お行儀見習いも含まれていました。
お茶を習うときのように、襖の外でご挨拶して入室したものです。
それに比べれば、お絵かきは自由でした。
大形徹先生の書は、絵と書の両方の面白みが含まれています。そして、筆致はどこまでも軽やかです。
もちろん、書の歴史をご存知だから遊べるのですが、楽しく書くというところは、きっと絵描きさんでいらしたお母様の様子を袖から見て育たれたことが影響しているに違いありません。
物事を“習う”は「真似る」です。
どうやったら上手に真似ることができるようになるか。それは、偏に、横で盗むことです。盗むは言葉が過ぎますが、真剣に見ることです。見るともなく、その空気感を感じるだけでも一歩先んじることができます。
先生のお母様は楽しくて優しいお方だったのだろうと、笑う「雪月花」を見ながら思っています。