こころあそびの記

日常に小さな感動を

約束した場所

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 母方が清洲に縁を持つからなのか、宮大工という言葉を聞くと思いを深くしてしまいます。
 同じように、渡来人の技術者集団に石組みの穴太衆(あのうしゅう)があります。

 滋賀県大津市坂本で子孫が今も先祖から引き継いだ工法で石組みを続けておられる様子は、先頃、『ブラタモリ』で放映され、ご覧になった方もおられるのではないでしょうか。
 この15代目粟田純徳さんがラジオ出演されていました。
 おじいちゃんの石の組み方が好きだといいます。
 野積みといって、自然石を山から探してきて積み上げるそうです。自分のイメージの石垣に添う石を選べたら、仕事は大方終わったも同然といいます。それらの石を加工することなく巧みに組み合わせて、災害にあっても崩れない城壁を作る過程は、マニュアル化できるものではなくて、次の代への伝承の難しさを語っておられました。
 つまり、見て覚えることを叩き込まれる修行です。
 度々、お爺ちゃんから「石の声を聞け!」と教えられたといいます。この石がどこに嵌まりたいと言っているかを聞けるようになれと言われたと。
 「石積みは人間社会と同じ。大きい石、小さい石、変形した石やら素直な形の石。いろんな形を組み合わせてできあがるから、この世は面白い」という言葉どおり、お爺ちゃんの石組みは美しくて憧れの石組みだそうです。
 そして、どんな仕事も真剣に向き合えば、真理が降りてきてくれることを表していると思いました。

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 落ち着く先を石が自ら決めているように見るのは、人間心理の収まりどころだからではないでしょうか。

 1125年成立の『碧巌録』に載っている禅語に、
 「好雪片片 不落別処」(好雪へんぺん、別処に落ちず)があります。
 空から降ってくる雪はバラバラに落ちてくるように見えて、実は落ちつく先が決まっていて、その他の場所には落ちないという意味です。
 ふわふわと落ちてくる雪に強い意志があると見るのは、人間の思いが反映されてのことでしょう。
 石が気の遠くなるような年月をかけて、自分好みの形になったのも、いつか落ちつくべきところを知ってのことかもしれないと考えると自然はどこまで壮大な語り部なのだろうと思います。
 
 私達人間だって、あっちにゴツン、こっちにゴツンをくり返して、結局は今の形になりました。
 その間、多くの出会いでけずられたり、穴をあけられたり、磨かれたりしてきました。
 そして、いつか計画通りにどこかに辿り着くことでしょう。
 
 それは、自分の意志なのか、それともどなた様かのお導きなのか、今はわかりません。そして、多分これから先も分からない。それで、よいのだと思います。
 運ばれて行く先をあれこれ考えても詮無いことです。自分にぴったりの場所が準備されていると思えば心が安らぎます。そして、帰る場所があるという確信があるから、この旅先で迷子にならずにすむのです。