霜柱が立っていました。足元にサクサクと氷が割れる音がします。詩人になれそうな朝でした。
空を見上げると、北斗七星が思いも寄らない場所まで移動しています。顔をもっと上げなさい!と言われているようでした。
「 春近し天体という大時計 城所志門 」
あまりに寒いので、逡巡しているうちに昼前になってしまいました。
お日さまの出ておいで!というお誘いがなければ、今日はお休みするところでした。
でもね、歩くことで出会いがあるのです。
たくさんの癒やしがありました。
太陽が高くなっても、水鳥たちは元気に餌を啄んでいました。
鷺の横を、お先にと過ぎていく鴨たち。真鴨の緑色の美しさに磨きがかかってきました。
ナンキンハゼの枝に残る実を啄む鳥は何でしょう?逆光でよく見えませんでした。春になるまで、実をつけたままにして、他の生き物の命を守ってくれる木がある。どなたかの配慮に感心して見ていると、シャッター音に気づいて小鳥たちは飛んでいってしまいました。
カルガモの仲良しご夫婦。いつもこのあたりで見かけます。というのは勝手な想像です。カルガモは雄雌の見分けがつかない鴨なんですって。
ノイバラが目覚め始めました。赤く染まった芽が枯れ草の中で目立ちます。
春は名のみの風の冷たいお昼でした。時折小雪もちらついて。それでも、背中はポカポカと暖かい太陽のエネルギーを感じました。
午前中は、小林武彦著『生物はなぜ死ぬのか』を読みました。
「同情したり、共感する感情のことを優しさという」というくだりに共感しました。
優しさからかけ離れた自分ですが、こうやって散歩して、自然の美しさに共感することで、なんとか人間として生きられるのだと思うと、深い感謝の念がわく思いがするのです。