こころあそびの記

日常に小さな感動を

『蔵』を観ました

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 店頭でお年寄りの不眠の訴えを聞きます。
 年をとるということは、いままでに経験のない体の異変を感じて、それがあたかも「病気」であるように慌ててしまうものです。
 年とともに変化するものは、陰陽のバランスです。
 赤ちゃんは陰(水)も陽(気)も満ち満ちて生まれてきます。それは、植物が芽を出すときのパワーに似ています。
 盛りを過ぎた草や木は萎れます。それは、水が徐々に無くなる。つまり枯れていく状態です。
 私達も老年期には、陰陽の陰が減ってきます。シワが増えてくるのは水分が減少することが原因です。
 化粧水で肌を潤いを補充したら一時的にでも肌に張りが出ます。ビューティーよ!目覚めよ!みたいなコマーシャルは面白いけれど、いのちに逆らってるぅ。けど、耳に残るのは、視聴者の願望を上手く捉えているからですよね。
 というわけで、年をとると陰(水)が減ります。
 すると、陽(気)のほうが相対的に余ってしまいます。
 陽は熱でもありますから、余った熱が頭に籠もれば不眠にもなります。頭寒足熱が理想の寒熱バランスといわれるように、頭は冴えているほうがよいわけです。
 陰陽のバランス。いつも、頭を使って熱が頭に上らせていると、それを冷ます水もそれなりに必要です。
 若くて元気があったときには、それを体が勝手にやってくれていたのです。そんなシステムの巧妙さに初めて気づけるようになる老年期は、身体の見方を変えることができるという点で、ありがたい年月です。
 体の変調ばかりに囚われず、見方を変えるチャンスをもらったと思い直してみるのも一考です。

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 夜はバタンキューの毎日ですが、昨夜は、NHKBS『蔵』にめぐり合い、後半部を観ることができました。
 宮尾登美子さんの人物の描き方は彼女しかできないと今でも思います。
 現代は美しくなりすぎた社会ですから、もう彼女の生い立ちを再現できる人は出てこないでしょう。
 でも、だからこそ、観察眼が並外れていて登場人物が生き生きと描かれていて、引き込まれるものがあります。初期の作品は何冊が読んだ隠れファンです。
 『蔵』もその一冊です。
 主人公の「烈」が、大きな造り酒屋の母屋の廊下を薄れゆく視力で手探りで歩くシーンは私の中のクライマックスです。
 それを、そのまま、私のイメージ通りに演じている「松たか子」さんの美しさに引きずられてとうとう最後まで観てしまいました。
 若い肌はここまで張りを保つものなのかと感心したり、あの体の使い方は小さいときから踊りで鍛えた賜物だろうと想像したりして、久しぶりにいいドラマを見せてもらいました。
 時代設定が大正末期から昭和の初頭ですから、銘仙の着物や、大きなリボンが郷愁を誘います。
 母がお稽古に通うときに着ていた銘仙。私の時代に着るのは躊躇われましたが、時々、家の中で着て楽しんだものです。
 宮尾登美子さんも愛好家でいらした着物。私は、その色の不思議をいつも思います。和服の絵柄には沢山の色が詰め込まれています。それでも、奇異に思わないのはどんな技があるのでしょう。
 もうじき、自然が目覚めて、春色が溢れます。その美しさを探求できる染色作家の目を羨みもしますが、しかし、それは神様から与えられたお仕事なのでありましょう。