寒のもどりです、と何度もニュースで流されていたその日がやってきました。
夜明け前の空気はピリッとして、そうそうこれがマイナスの寒さだったと思い至りました。
月明かりが庭に落ちて、泰山木の葉っぱを照らしています。この静かな寒さの中に佇んでいると夢幻世界とはこのようなところかと思える朝でした。
大学院で勉学に勤しむ友人が、猫の手も借りたいほどの山積みの勉強量を前にして、ふと「千手観音様」をおすがりしたい気持ちになったといいます。
千手観音様や十一面観音様。
人は自分独りで越えられなくなったとき、何かに頼りたくなります。
それを仏像という形に具現化した人間の創作力に感心します。
千手観音様も十一面観音様も、存外、友人の抱いたような欲求に応えるために作られたのではないでしょうか。バチが当たるかもしれないけれど、四角い頭を丸く使った人間は賢いなと楽しくなってきます。
西村公朝著『やさしい仏像の見方』より
十一面観音が多く見られるのが湖北です。白州正子さんのエッセイで有名になりました。
何故、当地に多いのか。今朝も大雪と伝えられることあたりは、戦国時代には常に戦場でした。
人々の悲しみを救わんと観音信仰が定着した場所なのでしょうか。
向岸寺の十一面観音を訪れたときの記憶では、戦争から守るため、観音様を土に埋めて隠したといいます。
今にいたるまで現存するのは、たくさんの人の努力の賜物なのだと、見せていただけることに感謝です。
十一面観音といえば、もうじき始まるお水取りの舞台である東大寺二月堂の本尊も十一面観音です。
この行事の発端は、神様ごとなのに、微笑ましい言い伝えがあります。
752年(天平勝宝4年)、修二会を始めた実忠和尚が諸国の神々を勧進したところ、遠敷(おにゆう)明神だけが釣りに夢中で遅刻したそうです。そのお詫びに、明神は閼伽井(若狭井)の水を観音様に捧げようと、二月堂の地面を叩き割ったところ白と黒の鵜が飛び出してきました。と、そこから清水が湧き出したといいます。
面白いことに、その鵜は遠敷明神のお国である福井の遠敷川にある鵜の瀬から地下を通って水を導いたといわれています。鵜が水に潜る鳥だからと、長距離を潜水させたところも可笑しいですね。
それ以来、お水送りは福井の神宮寺の行事となり、送られた水を受け取るのがお水取りとなりました。
かつて、この神宮寺を訪ねたことがあります。そのとき、このお寺の由緒を知ったというわけです。
いつか、お水送りの松明行列に参加して、暗闇の中に一筋の道が照らされる様子を体感したいと思っています。