こころあそびの記

日常に小さな感動を

喧嘩下手

f:id:snowrumirumi:20220225173253j:plain


 「目は口ほどに物をいう」というのは、日本人だけの感情表現なのでしょうか。表情や仕草や雰囲気を読めるようになったのは、幼い頃から自然と身につく環境にあったからと思われます。そして、おとなしくて優しい大人に囲まれて育ったということでもあります。
 地球には異質な歴史物語を越えてきたたくさんの種類の人間が住んでいますから、そんな温厚な人間ばかりではありません。感情が出てしまうはずの目さえも、内心を裏切る芸当のできる人もいるのです。

 昨日のNHKBS『ヒューマニエンス』で、AIを研究されている早稲田の先生が、表情筋からだけでは相手に感情を正しく伝えられない。口角が上がっているから、100%笑っているとは言えないし、目尻が下がったから泣いているとも言い切れない。人間は醸し出すものまで読んで意志疎通を図る生き物です。完全なコミュニケーションがとれるAIの完成までは、まだ時間がかかるということでした。
 ちょっと安心しました。なんでもかんでも、機械が先を越すなら、人間の存在価値が下がるばかりですものね。それだけ、人間は精巧に作られているということでほっとしました。

f:id:snowrumirumi:20220225184432j:plain

 番組の中で、欧米人は口で言語で意志疎通を図ろうと、言葉を連発する事も指摘されていました。出演者のヤマザキマリさんが大きく頷いておられました。なぜなら彼女のご主人様はイタリア人だから。想像するに毎日「愛してる」と何度も囁かれておられるのではないでしょうか。
 英会話教室に通っていた頃、英語って、なんとレロレロするのだろうと思ったことを思い出します。舌と喉の使い方が日本語とは全く違うことを学習しました。
 昔の日本人で慎みある人は、口は大きく開けない、声はやたらと出さない、スローテンポで、なんだったら阿呆かと思われるほどで丁度よいという話し方を良しとしました。
 それに比べて、西洋人は口が勝負です。口以外をあまり動かさずに、言語をまくしたてます。長い歴史の中で育まれた理論武装という方法です。
 そんな西洋人相手に、口下手な日本人が挑むのは無理があります。近頃は、欧米に対抗する人材を育成するために、相手を口で負かすディベートが学習の一環に組み込まれています。
 日本語は本来、相手を打ち負かすための言語ではないのにです。
 だから、と言っては失礼ですが、今朝の総理大臣のウクライナ情勢の説明からは緊迫感が全く伝わってきませんでした。
 それでいいのだと思う反面、闘争の為の言語に立ち向かう喧嘩下手の私たちは、この先どうなっていくのでしょう。
 世界の大多数の人は平和を望んでいるのに、なぜこんなことになってしまったのでしょう。本当に悲しいことです。