こころあそびの記

日常に小さな感動を

『俳句と人間』(長谷川櫂著)を見つけて

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 今朝、薄明の空に金星が輝いていました。
 東側に丘があるという土地柄ですから、明けの明星を見るチャンスがないことを常々悔しく思っていたのですが、少しだけ寝坊したおかげで発見する事が叶いました。
 先日、坪内稔典さんが、最近の早朝の空には明けの明星と新月に近い細い月と火星が見られることを書いておられました。
 それだけではなく、「春はあけぼの・・」という文章を書いた清少納言は午前三時に起床してこの景色を見ていたから、『枕草子』の春の段は生まれたようなのです。
 そんなことから、坪内稔典さんばかりか、清少納言にまで近づけたことが嬉しくて、いい日になることが約束された明星発見の朝でした。

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 先日、町に出たついでにちょっと本屋さんに寄ってみました。
 平積みもいいけど、腰痛と視力のぼやけた年寄りには、棚の中段あたりに立てて置かれた本の方がよく見えてありがたいです。
 あぁ、この作家さんはまだ書き続けておられるのだなとか、このタイトル素敵だとか、この本の色と手触りが好きだなぁとか、本屋さん巡りをして過ごす時間は至福の時です。
 そんな中、「長谷川櫂」という作者名が目に入りました。何冊が持っている俳句の先生だなと行き過ぎるはずが『俳句と人間』というタイトルに引き寄せられて、手に取りました。
 表紙をめくったところの第一行目に釘付けになりました。
 「右太腿の外側に小さな突起ができていた。」
 こんなことくらいと思ってしまうものですが、奥様がたまたま皮膚科にかかっておられたことが幸いして、早々に手術されたようです。
 元々、あまい俳人ではないという印象を持っていたので、
 「しんかんとわが身に一つ蟻地獄」
と詠まれた気持ちを察するに、立ち読みしながらつらくなりました。
 同時に、数年前、同じように左太腿にできた腫れ物を摘出した親しい人のことを思い出して胸がいっぱいになりました。
 まだ年若い彼がどんな気持ちになったのか。私は同じ気持ちになってあげられないことに情けない思いがしたことを忘れられません。
 彼が「こんなんですよ」と手術跡を見せてくれたことがありました。そんな時にも、どうか早くしまってと目をそむけてしまった自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
 
 さて、『俳句と人間』の図版は大好きな蕪村の《奥の細道図巻》から採られています。
 これから読み始めます。
 帯に書かれた「俳句は俳句だけで終わらない」という言葉から、病気を経験した思いを源流として作者の世界観の変化が記されているのでしょうか。
 奥の細道の奥義まで究められているはずの長谷川櫂さんの、芭蕉になぞらえる気持ちを読ませて頂きたいと思います。
 どうか、術後を健やかにお過ごしになりますようにと一読者として祈らずにはおれません。