夕方のニュースで「この花はなんというでしょう?」と写真クイズが出されました。
我が家にも咲いている花でした。
答は「ホトケノザ」ですが、次の日に、「これは何でしょう」と再びクイズです。似ているけれど、よく見るとちょっと違うヒメオドリコソウ。これも場所を違えて咲いています。
散歩途中、いち早く、暖かくなったことを教えて目を楽しませてくれる雑草たち。
中でもホトケノザとヒメオドリコソウはクイズになるほどですから、よ~く見てあげないと失礼ですね。
その花たちより少し後、それでも、ニ、三週間前になるでしょうか。庭にオオイヌノフグリが咲いたよと娘が教えてくれました。
毎年同じ場所に生えるのは、当たり前と言われればそうなのですが、今年も芽を吹いてくれたことは嬉しいことです。
でも、今朝は、昨夜の雨のおかげでどの子もまだ花を閉じたままひっそりと雨に濡れています。
いぬふぐり星のまたたく如くなり 虚子
閉じた花が白くて、かえって朝靄の中に星が浮かんでいるようにも見えました。
オオイヌノフグリは外来種のようですが、在来種のイヌフグリを駆逐してしまったそうです。
因みに、フグリという名は二つ相接した丸い果実の形に由来するといいます。あんなに小さな花にも実がなるのですね。今年はしっかり最後まで観察してみようと思いました。
今朝は、通勤途中に併走する淀川に霧が淀んでいました。
朝日に照らされてキラキラ光る水面も好きですが、こんな景色もいいものです。大宮人なら歌の題材にしそうなしっとりとした雰囲気でした。
霧が立ち上るのは秋の季語だそうですが、季語にないこの霧の淀みは季節を問わず現れる現象ということなのでしょう。
ところで、これから始まる春は空気中に水分、花粉、大陸からの飛来物などが浮かんで、遠くが霞んで見えます。いつも思うのですが、春霞の正体を暴露するなんて野暮なことです。ぼーっとしてるから歌に詠われてきたのに・・
春の野に霞たなびきうら悲し
この夕かげに鶯鳴くも 大伴家持
遠くのものをぼんやりさせるものを総じて「霞」というらしく、お酒や縄張りの意味もあるとは知りませんでした。
物知りの倉嶋厚さんが『季節ほのぼの辞典』に書かれている文章が面白いので書き写してみます。
「『霞の命』は長寿のこと(仙人が霞を食べて長生きしたことから)を、『霞の身』は霞のようにはかない身のことを表す。”命“は長く、”身“ははかないのだから、どうも話がかすんでしまう。」