こころあそびの記

日常に小さな感動を

禊ぎの日

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 この写真のお雛様もかれこれ四十年。私達につき合ってくれたことになります。
 娘が生まれたからと、今は亡き母とその姉が私を伴って松屋町のお人形屋さんを巡り、“お顔がいのち”と探し回ったあげくご縁のあったお雛様。
 春にお雛様を箱から出すたびに思い出すあの日です。

 さて、もとは上巳(三月の初めての巳の日)の節句といわれたお祀りが、魏の頃からは三月三日になっていったようです。
 その日に何をするかが、荊楚歳時記【けいそさいじき】に書かれています。
 「三月三日、四民並びに江渚池沼の間に出で、清流に臨んで流杯曲水の飲を為す。」
 その始まりは、穢れを落とすために水辺に集まり巫女が祈りました。それがいつの間にか、曲水の宴という催しに変わっていきます。

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 年号「令和」で有名になった曲水の宴は、王羲之の『蘭亭序』に書かれているような中国の宴が伝わってきたものと思われます。
 みんなで水のほとりに集まって、穢れを払う集まりが、いつの間にか流れに杯を浮かべて、目の前にその杯が流れてくるまでに歌を詠むという風流な催しに変わっていきました。もし、それまでに詠めなかったら、罰としてその杯を飲み干すことになります。
 
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 水と女子の関係で思い出すのは、阪大の豊中キャンパス正門から中国道を渡ったあたりにある「市軸神社」というお多福さんで有名な神社です。
 この神社の節分祭の催事はユニークです。
 各自、神社が用意した花かんざしを頭に挿して、「頭いた!頭いた!頭いた!」と言って願い事を書きます。その花かんざしを神社の方が鳴門の渦潮に持って行って流して下さるとか。(このご時世になる前のお話)
 中国哲学などを勉強するまでは、水とお雛様の関わりなど釈然としなかったものですが、こんな歴史を知ると、人形(ひとがた)を曲水に流す意味も分かるようになりました。
 「水に流す」とは、人間ができる最大の禊ぎだということです。
 お風呂に入る。顔を洗う。手を洗う。
 一日に何度が行う水を使う禊ぎは大切に心を込めてすべきことだったのです。
 アルコールでコロナウイルスの膜を溶かした後は、流水で浄めることが彼等の本当の退散になるのではないでしょうか。日本にはそれに適した清らかなお水があることはありがたいことです。