こころあそびの記

日常に小さな感動を

孫の卒業式

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『 15歳は人生の分岐点ともいえる大切な歳。不安や悩みが発生する大変な時期でもある。
 必ず人生において進むべきレールはひかれていて、それを自分は信じてまっすぐ進み続ける列車になりたいと思い、どこまでも続く人生のレールを描いた。
 どれだけ投げ出したくなりそうでも、これを見て自分を信じ朝陽に向かって突き進んでいきたい。 』

 ばばばかですが、今日はこれに勝る言葉はなくて。

 孫が中学を卒業しました。
 卒業の言葉に出てくる「絵」は式場の壇上中央に飾られています。本人曰わく、この絵が先にイメージされて、あとは寝ぼけた頭で思いつくままに書いたそうです。
 両親の思いをよく理解していること、父親の仕事(JR)への感謝、自分の名前への誇り。が、にじみ出ています。
 毎日一緒に過ごしていると、いつまでも赤ちゃんの時のままの可愛い子供なのに、こんなに成長していたんだと感心してしまいました。
 おめでとう。
 ここまで心を育てたパパとママはスーパー両親だね。
 
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 コロナ禍の三年間でした。
 行事という行事は中止を余儀なくされ、先生方も親達も多感な年頃の子供たちをどうやって導けばよいのか。試行錯誤。しかも、突然にやってきた異変でしたから、その混乱は想像するに余りあります。
 オンライン授業。先生方にどれほどの負担がのしかかったことでしょう。意外に子供の方が順応性を発揮したのかもしれません。
 マスク生活。すでに顔見知りならいざ知らず、新しい友とのコミュニケーション。それでも生徒たちは完璧にやってのけ、老婆心は大人だけでした。
 そして、突然の休校。生活リズムという一番大切なものが壊れやしないか。若人はそれも難なく乗り越え、健康な日々を過ごしてくれました。
 あなた方はえらかった!
 こんな時に育った子供がどんなことになるのかという心配は一切ありませんでした。
 卒業式を終えた友達との別れを、例年通りに長く長く惜しんで写真を撮り合いラインを交換しあっている様子に、心からエールを送りました。
 生前、私の父は「ええなぁ」と孫や曾孫のことを羨んでいました。
 私もあの父親の心情に同感する年齢になりました。
 若いって、それだけでええな

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 花束を買おうと花屋さんに行ったら、ガーベラばかりが店頭を飾っていました。卒業式でもらってきたお花もガーベラでした。
 あっ!そうでした。今日は東日本大震災の日でもありました。
 ガーベラを持って歌い繋ぐ震災応援ソング『花は咲く』の歌詞、「いつか生まれる君に、わたしは何を残しただろう」が、聴く度に私の胸を衝きます。
 あのどさくさの経験がかわいそうなのではなくて、だから逞しく育ったという姿を見るにつけ、人間には理屈を越えた強さが備わっているのだという思いを強くします。
 前を向いて歩き続ける者に不安はないことがよく分かりました。このばばに、安心してていいよと言ってくれる孫のことを、ばばばかながら誇らしく思ってしまうのです。