こころあそびの記

日常に小さな感動を

雨音を聞きながら

f:id:snowrumirumi:20220318161945j:plain


 昨日、娘と孫と一緒にランチに出かけました。
 同居していても、三人が共にフリーというのはなかなかないものです。
 久しぶりに、”風の杜“までドライブウェイを上ってみました。
 何年ぶりでしょう。
 あの時居たメンバーを思い出してみると、次男の婚約顔合わせ以来でありました。
 ロビーの窓の外にひろがる大阪の街。
 食事を終えて、テラスから広い空をバックに写真を撮りました。
 「やっぱり、ここへ来てよかった!気持ち良かった」と娘が言ってくれたので、今日のチョイスに満足したことでした。
 
f:id:snowrumirumi:20220318161020j:plain

 孫はこの四月から高校生になります。下に弟一人、妹一人。
 娘の母親としての長所は相手を推し量る力でしょうか。彼女は三人兄妹の末っ子。ポジションのせいか、周りをよく観察する資質が育っていることにたびたび感心させられます。長女の私にはないところです。

 私も、一時、子育てをしていたわけですが、今から思えば頭でっかちの母でした。教育ママというのではなく、こうしてあげたいという理想ばかりが大きかったという意味です。
 そんな中で、一人一人に合う進路を真剣に探していた時期がありました。
 その頃、東京にある自由学園のことを知って、その理想環境に感銘を受けました。丹羽もと子さんが開設された、お昼ご飯も生徒たちが作る学校でした。
 先日、本屋の平積みを見て回っていたのですが、そのタイトルはどれも希望がなくて悲しい気持ちにさせられるものばかりでした。
 中でも、『子供が心配』(養老孟司著)なんて最悪なタイトルでしたが、養老孟司さんの本だからと、手に取りました。
 この本は養老孟司さんが四人の識者と対談された記録です。
 帯に書いてある「子供は人材ではない」という言葉は、何のことかなと疑問に思って、ページを開きましたら、あの自由学園の校長先生、高橋和也さんのお考えでした。最後に「子どもたちは人間であり、自由な主体として生きる一人格である」と書かれていました。
 私が、ある時期、迷ったのはこれが実践出来ていない現状でした。
 
f:id:snowrumirumi:20220318161601j:plain

 同じ本の中で、小児科医の高橋孝雄先生が「欠乏感」を次のように語っておられます。
 「ヨーロッパには四百年前のオリーブの畑があるのに、いまや、せいぜい百年しかもたない。それは、若いときに十分な栄養を与えたため」と。
 御世話になった中医師の梁平(リャンピン)先生もおっしゃってました。戦争中の飢餓を経験した人は長寿遺伝子が出て長生きする。同じ理屈で、妊娠中のつわりも説明できる。だから食べ過ぎないようにと、耳が痛いアドバイスを頂戴したことを思い出します。
 子どもは「欠乏感」が大切です。
 その意味では、コロナ禍はつらい思いもあったでしょうが、その分、その年代しか持ち得ない何かが身について入るはずだと信じています。
 今は、それが、何かは分かりません。でも、いつか、やっぱりね。という日が来ることを心から願っています。