こころあそびの記

日常に小さな感動を

念起こる此れ病なり

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 昨日、南禅寺の門の手前に塔頭『金地院』の掲示板がありました。
 「念起こる此れ病なり
継がざれば此れ薬なり」
と書いてありました。
 ここにある“念”は願いという意味ではなく、もっと深い心に居座る執念のようなもの。常に心から離れないものであり、片時も離さない思いのことです。
 ”そんな深い思いを抱き続けたら病気になりますよ。手放してごらんなさい。心を軽くすることがお薬になるのです“
 そんな風に読めたので拝観することにしました。
 
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 今日は、その拝観のお話ではなく、心と体の関係をこの人ほど明らかにしてくださる方はないと思っている稲葉香さんのお声を久しぶりにお聞きしたので、彼女のお話をしたいと思います。

 ご存知の方も多いことでしょうが、彼女は18歳のときにリウマチを発症されました。それも、全身が痛むというほどの重症だったそうです。
 そんなことになれば、ふつうは傷みに耐えるだけの日常になってしかるべきですのに、彼女はあと十年しか歩けないなら歩けるうちにしておくことがあるだろうと意を決した、といいますから常人離れしています。
 しかし、本当にそんな人が実在していると知ることが私たちへのエールになります。
 去年、植村直己賞を受賞されたのは、もともと旅行や山が好きだった彼女が植村さんの本を読んで追っかけを始めたことがきっかけになったようです。
 植村さんの考え方に倣い、彼の登山ルートを辿るうちに冒険の楽しさを会得したといいます。彼が登ったところに行ってみたいというから、ファン心理ですね。
 その過程で、河口 慧海(1866~1945)のことを知ります。河口 慧海は仏教学者であり探検家でした。なにより稲葉さんの心を捉えたのは同病、リウマチ患者であったということです。
 その体で、本当の仏典を求めて、チベットに日本人として初めて入国したという事実が彼女の心を奮わせました。
 彼女は、極寒の冬のチベットに入るとなぜか痛みが軽くなり、十年間毎日欠かさず頼った薬を止めてみようかなと思えるほどになるというのです。
 それは、冒頭のことば通り、大好きな憧れの地に入ったことで、病気を忘れるほど心が自由になったからに他ならないと想像しています。
 深い思いは病の元で、その思いを断つことが薬になる。
 人間は心と体の両輪です。心が体を支配とまではいいませんが、占める重みがあることは確かです。

 稲葉香さんの逆算人生。残された日々を河口 慧海の研究に捧げたいとおっしゃいました。そして、これをやるために私は生まれてきたのではないかとまで言われています。

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 こんなに強い人がいる。そう思えば、自分の幸せが見えてくるような気持ちがしませんか。
 病は気からでなくて、健康は気(心)からですね。