春爛漫になりました。
一夜にしてとは大げさですが、急にあたり一面が春色に染まり出しました。
満開の桜。一体どれほどの花が一本の木に咲いているのでしょう。数えるのは野暮なこと。空を埋め尽くす花に畏れをもった古人を倣いたいものです。
さくらの“さ”は神様を、”くら“は乗り物を表して名付けられたといいます。
桜の神様が里に下りてこられたら、いよいよ農作業を始める時季節到来です。
桜が人間を魅了するのは、その花に神様が宿っておられるからだと考えた日本の春は、今から最高潮を迎えます。
春日神社の月次祭に行ってきました。
毎月なさる神社も減っている中で、ここは巫女さんが装束床しく、ぐらぐら沸かした釜のお湯に笹の葉を浸けてお清めしてくださいます。
笹を一本いただいて、おさがりのお米まで頂戴しました。
以前は、正殿前に植わっている桜が参道からでも見えるほど大きく立派に咲いていました。春日神社の名にふさわしい景観を誇っていました。なのに、今年は見る影もなく小さく刈り込んでありました。
実は、我が家の桜も同じ病に罹っています。
桜の寿命は数十年といわれます。それ以上に長生きさせるには、それなりの手当てが必要であることを知りました。
花が咲かない枝を辿っていくと、幹から枝分かれする辺りが傷んでいます。花が済んだら、お医者さんに頼んで治療してもらわねばと考えています。
そんなことがあるから、元気な桜の木を見るときの心持ちにいつもと違う何かがあります。だから、可哀想で見ておられないのではなく、一生懸命に咲いている花の命をより愛おしく思うというのでしょうか。
今日、入園式の孫がいて、来週、入学式の孫がいます。
日本じゅうのスタートが桜と共に始まるのは、農耕民族が先祖から受け継いだ自然の風習です。
そして、まだ植え続けられている桜の木。日本人が大好きな木です。
この先、いついつまでも、桜を愛でる幸せが続きますように。