こころあそびの記

日常に小さな感動を

非日常の楽しみ

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 川面に浮かぶ花筏に見とれて歩いていると、
 「晴れてる日はいいんだけど、雨でも降ろうものなら掃いても取れないのよね」
と、桜並木の前でご近所さん同士の話し声が聞こえてきました。
 そうですよね。これからは何十万枚の花びらの後始末で、近隣の方には申し訳なく思います。
 大勢の人の心に灯ったあかりに免じてどうかお許し下さい。

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 今までは、仕事に行くのが日常で、家にいる日が非日常でした。
 ところが、仕事を辞めてからは、家に居るのが日常で、パートに行く日が非日常となりました。
 ありがたいことに、その非日常に向かう道がよろこびの道になっています。
 今日、川沿いの道で野蒜を見つけたときもそうでした。いつか教えてもらった野草。自分で見つけられたことがうれしくて、心の中で「ヨッシャ!」しました

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 「ヨッシャ!」といえば、昨日は孫の入学式でした。
 コロナ禍で、同伴者は一人ということで、娘が出席しました。
 帰宅を待ち構えて、
 「どうやった?」
 「副校長先生が校長先生を好きすぎてびっくりしたわ」
 よかった。私は心の内で、安堵しました。
 組織を動かす中枢部に綻びがないことが一番大切なことです。
 このお二人が固い絆を強く結びあって運営してくださるのなら、大丈夫。実りある学校生活が送れそうだと確信しました。

 不思議なことです。
 人間が何人か集まって一つの仕事をするとき、相手を好きか嫌いかで結果に差が出るというのは面白いことです。
 薬局の経験しかありませんが、AさんもBさんも優秀な薬剤師だとします。
 AさんとBさんが意志疎通が良好ならば、和気藹々の気が流れる店内に間違いは発生しません。
 ところが、どこかギクシャクした緊張関係だと、トラブルが起こることを何度も経験してきました。
 小さい空間の中で気が乱れることは、手元を狂わせます。気は見えないけれど、確かにあります。
 どこかの「陽気暮らし」ではありませんが、いつも陽気を纏うことは、大切なことです。
 では、人は陽気だけでよいのか。それは、違うと思います。どんなに陽気でも、独りの時や夜間には陰気を養っているはずです。そうでないと、自分の中のバランスが崩れてしまうと思われます。
 陰陽の調和がとれた状態である中庸を維持することが体と心の健康のポイントです。
 
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 春夏は陽気を養う季節です。
 萌え出した元気ないのちを探しながら歩いています。
 川床に生えているシナサワグルミが長い花序を伸ばしているのを見つけては、去年もお目にかかりましたよねとご挨拶。カワウ、コシラサギ、メジロにも会いました。
 平和に見える自然の中に人間の営みを重ねることもできます。

 木梢(こぬれ)やさしき五月の森の香りさへ断ちてゆくべし 巣立てるものは           斎藤史

 こんな短歌を読むと、地球上に暮らすということはいのちの大小に関わらず、決意がいることを認識させられます。