こころあそびの記

日常に小さな感動を

自然の一員と気づくこと

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 小さなこたつ机の周辺が雑然としてきたので、もう流石に我慢ならず、今日こそはと、がばっと起きて断捨離に取りかかりました。
 のはずが、また一冊ずつ読み始めたりするから時間のかかることです。

 そんな中で昨春、京都で開催された個展『細川護煕 美の世界』の画集が出てきました。コロナ騒動の真っ最中であったため医療機関に勤める者として、お伺いする事は断念せざるを得なかった作品集です。
 「コロナ禍で行けそうにないのですが、作品集を送ってもらうことはできますか?」
と、会場に電話をかけたことを思い出しました。
 快諾してくださって、時を置かずに送られてきたことに、再び驚きました。
 雲の上の方の中でも、この方のお乗りになっている雲は随分と天に近いところにある雲であることは間違いないと一人合点しています。

 その作品集の最初のページに書いておられることが、昨日のマイブログの気持ちに通じるものであったので、一部書き写してみたいと思います。

 「私の美的なるものとのなれ初めは
  白隠の書と禅画でした。
 (お祖父様が毎日掛け替えられるものを見て育たれました)(中略)
  それが今、陶芸をしたり絵を描いたり
  書をたしなんだりしていることにつながっているのか
  というと
  それはちょっと違うように思います。
  基本的にはこどもの頃に
  木のぼりをしたり
  朝、散歩がてらに日の出を見たり
 月を眺めたり、路傍の草花を愛でたり
 音楽を聴いたり
 鳥の声や虫の姿に興味を抱いたりー。
 多くはそういうことから
 育まれてきたのだと思います。」

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 人生には、優れた先人が語る教訓が必要なときもあります。それを糧に前進することができるからです。
 しかし、それを自分の中に落とし込むには、あるいは越えるには、自然との共鳴が下敷きになければならないように思います。

 千玄室さんが「青山緑水 これ我が家」とおっしゃって、人間が大自然の一員で生かされていることを茶道を通して啓蒙してくださっています。

 また、二宮尊徳翁の詠まれたこの歌がいつも脳裏から離れません。
 「音もなく香もなく常に天地(あめつち)は
  書かざる経を繰り返しつつ」

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 人は、大人になれば仕事に出会い励みます。そのうちなんでだろうという疑問を持ち始めて人生を考え始めます。そして、山のような回答を突き詰めてみれば、なんと、それは今日の空の色だったりするのです。
 古来、人はそうやって悟っていったと思われます。

 細川護煕氏の子供時代が突出して恵まれていたことは確かですが、同じ月を見て何を思うかは、その人の持ち分次第です。
 とても、追いつけませんが、山川草木を見る感性を育み続けた暁には、作品の理解が今より深くやさしくなるかもと密かに楽しみにして、本棚に仕舞いました。大切な一冊です。