常磐木の散るや母さへその子さへ 嵐雪
まるで、秋の風景と見間違えそうですが、この写真は今日の公園で撮ってきたものです。
この嵐雪の俳句で詠われているように、クスノキが春に落とす葉は二、三年から数年の間、常緑を保ってきたものだそうです。葉っぱによって寿命が違うというところにも神秘性を感じます。
子供世代、親世代、祖父母世代がそろってお役目を終える、しかも春浅い日に静かに散っていくとは西行の目にさえ映らなかったであろう密やかなものです。
一つの理想郷かもしれません。
椿のエネルギーを思い知るような花の数と大きさです。”紅獅子“という種類なのでしょうか。びっくりしました。大方の椿が終わったはずなのに、この時期に咲き誇るとは、どんな考えがあってのことなのでしょう。
阪大校内を散歩してきました。
イチョウの葉が少しだけ大きくなっていました。本当はもっと小さな芽生えのときがかわいいのです。小さいくせに、一丁前の形なんです。それが、可愛らしくて、毎年、楽しみにしています。
新入生と思しき学生さんが、お友達作りでしょうか、あちらこちらで輪になってお話されています。
今年の入学で良かったですね。コロナが少し落ち着いて学校に来れるようになった学生さんは幸せです。今年は対面授業も始まることでしょう。うれしい春です。
昔、息子が二浪したとき、どなたかが「ええのよ。今は待てということかもしれないから」と慰めてくださったことがあります。確かに、現役生は就職の氷河期に直面して大変苦労されたとか。
そんな経験も踏まえると、今年入学されたことに計らいを感じます。
どなたに導かれているのかは分かりませんが、人生は不思議なことばかりと分かった頃には、もう先が見えています。若い時に知っていたら、もっと感謝したのにと思っても後の祭り。
でも、若いときはお願いばかりが多くて、ありがとうと言う余裕がないものですから、神様仏様参りは年寄りの仕事で良いのだと思います。
自分が若かった頃、路傍のお地蔵さんに手を合わすお年寄りを見て、恥ずかしくて真似ができませんでした。
そんな私でも、今は、人が後ろを通られようが、お参りできます。孫たちが健やかでありますようにと。
もちろん、世界が平和でありますようにと。
年寄りになって、厚かましくなって。ええこともありますね。