風が残るものの、雨が上がった朝というのは気分がすっきりするものです。
雨と風で浄化された大気は体の中に吸収されやすいからでしょうか。思わず、下界を見下ろしながら深呼吸してしまいました。
昨日もお伝えしたように、山の色が変わってきました。あるものは芽生え、花を咲かせ、あるものははらはらと散っていくことが、この目の前の山並みの奥深く進行していることを色彩で教えてくれています。
山並み遠に春は来て
こぶしの花は天上に
雲はかなたにかへれども
かへるべしらに越ゆる路
でも、東北では今日も雪が降ると報じられています。
山を見ていると思い浮かぶ三好達治の詩。
しまった。時を逸したかと思いましたが、陸奥の春は始まったばかり。これからコブシが咲く所もあるなら、この詩も、かの地では詠われるはずと安堵したことでした。
今日はお話会の日です。
始めて十年。順調に会を重ねていたら、すでに百回に到達していたはずですのに、一昨年から歩みは半停止状態です。
ご多忙な中、参加を続けて下さる皆様の熱意に支えられて本日を迎えています。初老の日々の老化防止策であったとありがたく思っています。
先日、室生寺のバス停前のお店で買ったよもぎ餅が家族に好評でしたので、といっても、そう簡単に買いにいくわけにもいかず、おーい、ヨモギ!と散歩の途中、長けてきた蓬を見ながらあの味を思い出しています。
もちろん蓬は秋まで生えていますが、柔らかい芽の部分を摘むなら今頃までではないでしょうか。
草餅を作る時は、この芽の最も若い部分を使います。
ヨモギは生薬名はガイヨウで、性味は苦燥辛散温性で芳香をもちます。つまり、老廃物を排出して血をきれいにする効能と体を温める作用があるのです。
道端にいっぱい生えているヨモギは古代から人間の健康を見守ってきてくれた草です。これからもずっと生えてくれるために、私達がすべきことはあるのでしょうか。それとも、生き残りはたくましいヨモギの生命力が考えることなのでしょうか。
そんなことを考えながら、ちょっと摘まんで匂うのが近頃のマイブームです。
マスクをしているせいもあって、匂いを嗅ぐという行為が忘れられています。
今年も、スイセンとニラを間違えた食中毒が発生しました。嗅覚が人々に疎んじられた証拠ではないかと思います。
食べ物が傷んでいるかどうかの判断に、昔の人は味覚と嗅覚を使ったものです。
先ず、匂いを嗅いでみる。コロナで退化した五感を呼び覚ますことが、生きる力復活の第一歩になるように思います。
蛇足ですが、ここでいう香りは、工場で作られた匂いではありません。あまり、人工的な匂いを嗅ぎ続けると感覚が鈍麻するから注意が必要です。
自然界の淡い匂いはストレスを軽減してリフレッシュできるように感じられるものです。ヨモギなどの香草や森の中のフィトンチッドの香りはその代表でしょう。