雨上がり。水量の増した瀬音がひときわ響いている中で、一尾の迷子と思しき鯉を見つけました。
上の写真の関から流されてしまったようです。
大きな鯉でしたから、体力?もありそう。次に通る時には、鯉のぼりを果たして、家族の所に戻れていますように。
浜田晋さんの『老いを生きる意味』を読んでいます。
この方は、精神科のドクターで大病院で修行の後に東京・上野で開業されています。
昔は精神科の医者は精神の病の先生で、開業しても患者さんの数はしれていて、経営は苦しい。そんなイメージでした。
でも、現在は、老年期という問題を精神科の先生が受け持つ時代となりました。その大変さをお察し申し上げます。
蛇足ですが、精神科にかかる患者さんは一度決めた先生に生涯ついていく人が多いと聞きます。
そんな聞きかじりを知っているのは、はるか昔に精神科でアルバイトしたことがあるからです。
その先生は薬を使わない治療方針で、西式健康法、甲田療法など、心の病は自然に放つことを第一に指導されておられました。
私が、人間は自然の一員という東洋の考え方がすんなり受け入れられたのは、この先生のおかげかもしれません。
さて、この本にも書かれていますように、近頃は、いわゆる赤ひげ先生を見かけないように思います。
なんでも話せる先生です。
和田秀樹さんがおっしゃるところの「相性のいい先生」です。
人はそれぞれ好みも考えも違いますから、一括りにどんな先生があなたにとってよいのかは分かりません。
ただ、人間は体(肉体)と心(精神)の両輪でできていますから、検査と結果だけで済まされては、心が置いてきぼりになり、治るものも治りません。
そう言えば、今朝の朝刊に美村里江さんが書いておられました。「腰痛はストレスからだった。再婚して幸せになったら治った」と。
そこまで、話し相手になってくださいとは、お忙しい先生には、お願いできませんが、診察室が和やかで安心できる雰囲気ならば、人間は治ったように思うものです。
反対に、病院にかかったために、本当の病人になってしまう笑えないケースもあります。くわばらくわばら。
先進の医療だけに頼り切り、先人の残した「病は気から」という箴言を忘れてはならないようです。
医療人を目指す若人には、勉強とは別にいろんな経験を積んでほしいと思います。研究だけの堅物では、赤ひげ先生になれないと思うのです。
病気に役立つ先生だけでなく、どうしたら、社会に役立つ人になれるかを考えてほしい。
そして、自分が老いた日に、お世話になりたいと思う先生に出会えたらいいなぁ。