「家ハもらぬほど、食事ハ飢ぬほどにて、たる事也
是、仏の教、茶の湯の本意なり
水を運び 薪をとり 湯を沸かし 茶をたてて
仏にそなへ 人にもほどこし 吾も飲む 花をたて
香をたく みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也」
大好きなフレーズが、千玄室さんの『茶の精神』に出てきました。
心が落ち着く言葉に再会して、ゆっくり写し取ったことです。
そうだったそうだった。細川護煕さんが、この三行目以降を書かれた作品が好きでした。
典拠も知らずにいましたが、『南方録』の覚え書き冒頭に出てくると教えてもらいました。利休のお弟子さんが利休談話を書き留めたとあります。
『茶の精神』は千玄室さんがお茶の歴史を説いてくださっています。。
中国から伝来したものを、平安貴族という特権階級が生活の享楽に用いていた時代は、まだ唐文化の直輸入という形だったそうです。
それを、鎌倉時代に栄西が禅仏教と抱き合わせて持ち帰ったことから、即物的なものから精神的なものへと変化します。
『喫茶養生記』には生理学と病理学の二つの効用が著されています。
まずは、お茶の生理学的な効用です。この苦味が心臓に効き寿命を伸ばす仙薬であるというところです。つまり、天から授けられた生命を大切にするという養生の基本には、お茶が効くと説いています。
また、飲めばスッキリするところから、辟邪にも効果があるとも。
そのような貴族から武士社会の真似事を経て、禅宗の思想と結びつける人が出てきます。
村田珠光、武野紹鴎です。
そして、宗教的自由な境涯への飛躍を志した利休のお茶につながっていくのです。
『茶の精神』の前半、貴族のお遊びや武士の真似事のあたりでは歯切れの悪さを感じたのは、千玄室さんが言いたいところを我慢されていたからだと推察しています。
お茶は、もっと深い精神性があるのだというところまで、早く説明したいのだろうと感じながら、読み進みました。
いつだったか、ものを書くには、内面に「いかり」が必要だといった人がいました。
そうじゃないんだ。僕はこう思うんだ。
それは、物書きだけでなく、すべての人の生命力の根源でもあります。
クラーク博士が「Boys be ambitious!」と言ったのは、大志でも、野心でもなく、心の叫びを持ちなさいということだったのかもしれないと、御年、九十九歳の千玄室翁に教えられた気がしました。