こころあそびの記

日常に小さな感動を

『難波宮跡』という言葉遊び

 朝、起きてきた娘に「グランピングって何のこと?」と訊いてみました。
 昨日、ネットニュースで、難波宮跡をグランピング施設にする計画があると報じられていたからです。
 「キャンプみたいにテントを持って行かなくても、野外活動が楽しめる場所らしいよ」「へぇ~」。
 聞いたこともない知らない言葉が次から次へと現れるものです。でも、“グランピング”はちょっと楽しそうですね。
 都会の真ん中にありながら、大空のもとで風が吹き渡る体験ができる施設の完成が今から楽しみなことです。
 夜空のお星様は期待できませんが、ライトアップされた大阪城が作り出す雰囲気が、500年前の気分に連れて行ってくれるに違いありません。
 

 もっと遡れば、500年前と言わず、『難波宮跡』は1300年前までタイムスリップさせてくれる場所です。
 武将の甲冑姿を通り越して、ちょっと古代ロマンを感じることでしょう。
 グランピングの宿泊棟もそんな工夫があればと願うのは、小学校の時、この『難波宮』の脇を通って通学していた私の思い入れかもしれません。
 もちろん、当時は、戦争の爪痕の残る土地で警察が管理していたはずです。草茫々で塀の中に入ろうなんて誰も思わなかった場所でした。
 

 さて、当地の正式名称は『難波宮跡附法円坂遺跡』というそうです。
 法円坂。人は故郷を見たくなるときがある、の類で行ってきました。
 住宅の敷地内に航空写真が掲示されていました。確認したら、赤線で囲まれた”難波宮跡“の東南の角に住んでいたことが分かり、ドキドキしてしまいました。ないことですが、その昔、都人に出会ったことがあったかもと、夢想したりして。
 土地は、ただの土ではなく、土という字は土饅頭の形です。そこにお社を立てて祀ったところから神社ができました。
 土地は歴史を飲み込んでいます。良いことも、悪しきことも。
 私が血の気が多いこと、王朝気分への憧れがあること、漢方や中国との関わりを持つことになったことなど、この土地の力のせいかなと一人悦に入ったりしています。
 この市営住宅は、大阪大空襲で焼け出された人のために、大阪市が建てた当時としてはモダンな住宅でした。
 あの山崎豊子さんの『白い巨塔』に出てくる里見教授の住んでいた住宅です。
 行ってみたら、全て壊されて、新しく市営高層マンション三棟に整備され、難波宮跡に相応しい景観に様変わりしていたことは仕方のないことでした。
 ここにA子ちゃんが住んでいたな、ここにあった池に落ちて大騒ぎになったことがあったなと。
 薄れた記憶を、呼び覚まして帰途につきました。

 先日のNHKBS『歴史の選択』で、藤原不比等が取り上げられていました。
 6、7世紀は日本の歴史誕生という時代です。
 その舞台に難波宮も絡んでいたのではないかと考えると、歴史に疎い私でも興味が湧いてきます。
 歴史の証人である上町台地と淀川。歩けば歴史に出会える所です。
 また明日。