こころあそびの記

日常に小さな感動を

朋、遠方より来たる有り。


 「子曰、学而時習之、不亦説乎。
  有朋自遠方来、不亦楽乎。
  人不知而不慍、不亦君子乎。」

 論語:学而第一は漢文授業で必ず習うところです。

  子日(しのたまわく)、学(まなびて)時(つねに)之(これ)を習(ならう)、亦(また)説(よろばし)からずや。朋(とも)遠方(えんぽう)より来(きたる)有(あり)、亦(また)楽(たのし)からずや。人(ひと)知(しら)ずして搵(いから)ず、亦(また)君子(くんし)ならずや。

 箕面の滝道にある竜安寺の川向かいに「時習館」という建物があります。
 もとは、武田薬品の寮だったところを、音羽寿司の社長さんが購入されて、社員ならびに世間の人に広く解放されています。
 入り口で入館者を迎える石碑に刻んであるのが、「学而時習之 不亦説乎 有朋自遠方来、不亦楽乎」です。
 館内の展示物は、漢籍をはじめ、日本を作り上げた人々の書籍、墨跡が多数集められいて、来館者に何か感じて帰ってほしいという田舞社長さんの願いが込められた場所です。
 緑の季節、お出かけの折りにはお立ち寄りになってみてはいかがでしょう。

 ところで、上の論語の二行目なのですが、加地伸行先生によりますと、
 「突然、友人が遠い遠いところから[私を忘れないで]訪ねてきてくれる。懐かしくて心が温かくなるではないか」と訳されています。

 古代中国では、遠くへの旅が大変だったことは想像に難くありません。そんな遠くから危険を承知で旧友が訪ねてくれることが、どんなにうれしくて、心が熱くなったことでしょう。
 でも、今は、交通手段が網羅されて、それほどの感激はないだろう、というのは違う!ということを昨日思い知りました。

 昼下がり、ピンポーンの音で、娘婿が対応してくれたようです。
 「お母さん、豊中で勉強会されてる先生のお宅ですかと、誰か来てはりますよ」というので、慌てて出てみたら、そこにKさんご夫妻が立っておられました。
 Kさんは、第1回からほぼ皆勤で私たちの活動を支え応援し続けて下さった恩人です。
 ところが、この2, 3回、お顔が見えず心配していました。コロナのせいで、開催が不定期になっていたことが彼を混乱してしまったことは否めません。
 お電話しても通じませんと聞くと、何かあったのかしらと不安が横切っていました。
 

 ある俳優の方がおっしゃっていました。
 コロナが、今まで如何に傲慢になっていたかを教えてくれたと。お客様が時間を割き交通費とチケット代を払って見に来て下さっているとは、どういうことなのか考えるきっかけを与えてくれたそうです。
 それを聞いた私は、Kさんの存在がいかにこのお話会にとって大切であるかをあらためて思い起こし、お葉書書いてみようかと思っていたところでした。

 老人二人が、住所だけを頼りに(お年寄りですからGoogleマップを使えるわけもなく)、我が家を探してくださったことを思うと頭が下がります。
 うれしいことに、お顔色もよく、お元気なご様子に大いに安心しました。そして自分が不義理な人間であることを心の中で反省したことです。
 一人でも参加者がある間は続けなければという気持ちにさせてくださったKさん。
 「今月の開催日には私がカレンダーに丸印を付けておきます」と言って下さった奥様にも感謝です。支えてくださる奥様の存在を目の当たりにして彼の幸せを確信しました。
 よくいらしてくださいました。感謝。