こころあそびの記

日常に小さな感動を

無病息災という祈り


 紫色の花が目に入ってくることが多くなりました。。
 山肌にチラホラ藤が垂れている様子は、桜とは違う華やぎを感じます。
 これも、倉嶋厚さんのご本に教えてもらったことですが、紫色はご存知の通り、青色と赤色を混ぜた色です。
五行で、青は東からやってくる青春の色、赤は朱雀が示す夏色です。
 つまり、春から夏への移行の色だから、紫色というわけです。なるほど、この説明を聞けば初夏に紫色の花が多いことに納得できます。

 「青皇の春と、赤帝の夏と、行会の天に咲くものなれば、藤は雲の紫なり」(斎藤緑雨)

 平等院をはじめ、藤原氏の寺院の藤棚も今は盛りの美しさでありましょう。


 紫といえば、日本書紀にも登場する「薬猟(くすりがり)」が連想されます。
 天智7年(668)5月5日に蒲生野で行われた薬猟で、額田王の詠んだ歌が有名です。

 「あかねさす紫野行き標野行き
  野守は見ずや君が袖振る」

 もちろん、この5月5日は旧暦でしょうが、今日のように明るい五月の空のもとで行われたと思う方が、気持ちが乗ります。
 男たちの鹿の狩猟だけでなく、女たちの紫草摘みも含めて、春のイベントが繰り広げられたことが、今の庶民の楽しみに引き継がれていることを思うと、遠い昔がそれほど遠くに思えなくなります。
 歴史の切り抜きシーンに、我が身を投入することで生命の厚みが増すように思います。
 そんな先人が居たという事実の大きさをありがたく思ったりできるのです。
 

 それから、雅な薬狩りの行われた旧暦5月5日は別名、「薬日」といい、この日午の刻に降る雨を「薬降る」といいます。竹の節に溜まった雨水を神水として、飲めば万病が癒えるといわれたそうです。

 それほどに、病を怖れることは現代人だけではなく、古今東西、生きているすべての人々のテーマであり続けてきました。
 菖蒲と蓬を門に飾って邪気の侵入を防ぐこと、草餅を食べる風習、菖蒲湯に入ること。
 薬効ばかりか、その香りや姿まで動員してなんとか邪鬼を遠ざけようという真剣さは、今の人の健康志向と同じです。

 端午の節句は子供の健やかな成長を祈る日とされていますが、本来はこれから迎える夏に向けて、すべての人から邪鬼を遠ざけるための行事が執り行われた日であったことも気にとめておきましょう。健やかであるために。