今日は我が同志のお誕生日です。
もう、四半世紀ほどお友達でいてくださる大切なお方です。
彼女は芯から心優しい人です。十年前もそうでした。
私がかねてより、もっと漢方の啓蒙ができたらという願いを持っていたことを気に留めてくださっていたようで、「豊中市がこんな事業を始めますよ」と囁いてくださったのです。
それ以来、彼女流のソフトな音頭取りを続けてくださいましたから、今に至ることができました。
彼女は信子さんと仰います。それは、ご両親、おばあさまと、浄土真宗を熱心に信仰されていたから名付けられたと聞いています。
「信」という字は、言葉にうそいつわりがないところから「まこと」という意味につながります。身心一如。彼女は、ご家族の願い通りの姿になられました。
ご家族やご先祖さま、虚空におられるどなた様かが現世の私達を守ってくださっている。それを信じて共有できるから、彼女と朋友でおられるのだと思っています。
さて、そんな本日、雑誌で久しぶりに次の詩を目にしました。
「 わが名をよびて 三好達治
わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてた
まはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびて
たまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ」
この詩を初めて知ったのは『いのちの風光』(紀野一義著)を読んでいた時のことです。
結婚しても、子供がいても、自分の生活のことより、母親との葛藤に悩みが尽きずにいました。苦し紛れに、救いの文言を手当たり次第に手に取っていた中年でした。
入浴の独り時間に読みました。ですから、湯気と、時にはお湯に落としたりしたものですから、文庫本は膨れ上がっていたはずです。ところが、狭い本棚の中で修正されたのか、今探してみたら、茶変はしているものの生き残っていました。断捨離できない本の一冊です。
今日、この詩でもって、ずっと遥か昔の自分に再会できたような気がします。
どうでしょう。あの頃よりは、生きていることに喜びを持てるようになったでしょうか。
私が、子供は親を選んで生まれてくると信じているのは、自分の経験からきています。
私の選んだ母は、私を鍛え上げるための人であったとつくづく思います。それだけ、私の業が深かったのです。その修正のためには、ちょっとやそっとのことでは効果がないと、強烈な個性を持った母の子供になりました。
三好達治さんの詩の深さに引き寄せられるのも、業の深さを知ってのことです。でも、その深みは鬼の世界ではないのです。もっとずっと古い混沌には、たくさんの神様がおられると考える楽天家です。
なんと、お気楽なこと。
それにしても、自分に夢見る部分があったことに感謝です。なぜなら、夢は現実逃避させてくれます。行き詰まらない。おかげで、今日まで生きてこれました。
一日遅れの母の日に捧げます。
お母ちゃん、ありがとう。感謝。