こころあそびの記

日常に小さな感動を

雨のフィーリング

 この季節は、なぜかカーペンターズの『雨の日と月曜日は』のメロディーと、「get me down」という言葉が浮かんできます。
 さぁ、何か始めようというよりは、曲中にもあるようにブラブラ過ごしたくなる毎日です。
 

 時間を持て余して、ショパンの『雨だれ』を聴いてみました。
 こちらは、当然のことながら歌詞がない分、旋律の美しさに浸れます。
 牛田智大さんの細い指で奏でられる音は、この曲に合っているように感じられました。
 天才といわれた子供時代は存じ上げていましたが、暫く拝見する機会はありませんでした。
 そんな折り、恩田陸さんの『遠雷と蜂蜜』に感動しまして、その舞台となった浜松ピアノコンクールの放映を興味を持って視聴しました。
 彼が2位に入ったドキュメンタリー映像でした。
 ともすると、美しすぎる容貌が邪魔をするきらいはあるのですが、それを何とか振り切ろうとして、中村紘子先生に託された思いを体現しようと努力する姿はもう一人前のピアニストでした。
 こんな日に聴く彼の『雨だれ』はいいですね。
 内省的な時間にピッタリです。


 私は、中学生のとき、家庭の事情により突然ピアノを止めました。
 それで、気持ちが音楽に背を向けてしまいました。多感な時期に音楽を離れたことに今でも後悔の念があります。
 ピアノでなくても、いいじゃないと云われたら、その通りなのですが、そこが子供でした。悲しい後ろ向きでした。
 ですから、ふんだんに音楽を楽しんできた人を羨ましく思います。
 師匠、大形徹先生の教授室にはいつも素敵な音楽が流れています。先日、思い切って先生に尋ねてみました。
 「ジャズですよ」
 へぇ~。こんなスローで静かなジャズもあるんだ。
 先生はお若いとき、ギターを手にバンドまで組んで音楽を楽しんでおられたそうです。
 なるほど。耳が肥えるとはこの事かと納得した次第です。


 
 近頃はもっぱら孫のピアノレッスンのパトロンとして、音楽を楽しんでいます。
 若者が複雑な旋律を初見で弾けてしまうのは、最近のゲーム音楽のせいではないかと思っています。彼らの楽しみはゲームですから、それを一日に何時間と聴いていることになります。耳に馴染んでいるのでしょう。
 その手の難しいメロディーについて行けなくて情けない思いもしますが、作曲者の才能には脱帽です。
 なににつけても、聴き飽きるくらいに聴き続けることが、音楽上手になる方法であることは間違いありません。
 その意味では、自然の雨音は無意識に聞き続けてきたものだから体に深く染み込んでいます。ヒーリング効果うんぬんは、体の奥にあるいのちが癒されるからでしょう。