こころあそびの記

日常に小さな感動を

今でしょ!

 知人からユキノシタの写真。それも、自宅の庭に咲いていたなんて、うらやましいことです。
 うちの庭にも咲いていたのに、そんなことに頓着しない家人に何回か抜かれているうちに生えなくなってしまいました。
 滝道もそう。左岸のある場所を楽しみにしていたのに近頃とんと見かけなくなってしまいました。
 ユキノシタの葉っぱを絞って耳の中に流し込んだなんて、今の子供ばかりか私の年代でも知る人は少ないことでしょう。
 民間薬とか民間療法を試行錯誤しながら、いのちを繋いできた先人の知恵と勇気に感心します。答えは必ず自然の中にあることを信じたからこそできたのではないかと思います。
 

 
 新聞に、早起きしたので余裕ができて、10分だけ出勤コースをいつもと変えてみたら、ちょっとした旅行気分を味わえたと書いておられるのを読みました。
 知らない場所はいつもの自分を少し新鮮な気分にさせてくれます。
 昔、父の友人が住む垂水という場所を足場に、あたりをうろうろしていた時期がありました。
 昼網で上がった魚がトロ箱で跳ねているのを見て回ったり、高架下でモーニングコーヒーを飲んだりと、それだけで気分転換になりました。
 誰も知らない街へ行って、自分のコミュニティーから離れること。それが日頃のストレスを忘れさせるのは、旅行と同じ効果です。
 
 さように、人は別世界を心のどこかで望んでいます。
 
 同じ環境は安心感がありますから、それはそれで日常を過ごすにはよいのですが、惰性になってきたなと思った時は、一駅でもいいし、終点まででもいいから別世界を訪ねることがリフレッシュになります。

 私は、散歩コースは決めていません。
 そのときの心の赴くままに歩きます。
 迷い込んだ道がいつか通った記憶を呼び覚まして、悩み多かった当時の自分に出会うことがあります。そんなときは、元気に生きてきたことを報告して自分をほめてあげたい気持ちになるのです。
 

 同列には考えられませんが、一週間の献立を決めるということが私にはできません。
 その日の体調は、その日にならないと分からないものです。
 ふわっとした日はお寿司が食べたい体でしょうし、元気いっぱいの日は焼き肉が食べたくなることもあるでしょう。
 体調は自然界の変化と共に、変わっていきます。
 散歩も食事も今日の気分優先です。
 体調を無視すれば、予めの計画が可能でしょう。でも、生きてる自分を優先すれば、決めるのは“今”でしょう!