こころあそびの記

日常に小さな感動を

小さなビオトープ


 五月の空に濃くなった緑が映えます。山の木の花も盛りは過ぎたのかしらと見とれていると、足元に蝶が一匹止まって動きません。

 早速、調べたら「ヒオドシチョウ」という蝶でした。  
 緋縅とは鎧の札(さね)を綴じる緋色の紐のことのようです。なんて素敵な名前(和名)を付けてもらったの?
 5月に羽化して、夏場からは見かけなくなるのはどこかで眠っているのだとか。そして、また翌春に里に姿を見せる蝶だといわれると貴重な出会いをうれしく思いました。
 喜んでいることを察知してくれたのか、飛び立つや私の帽子にしばらく止まってくれました。その意味を考えるに。母だったのでしょうか。祖母だったのでしょうか。ありがとう。

 いつか行った大阪の科学博物館だったかに、ビオトープという展示がありました。プラスチックケースの中で一つの生物循環が完結しているという表示だったように思います。
 ビオは「いのち」、トープは「場所」という、ドイツ発祥の環境概念です。

 散歩中、いつも思うことは、自然は手を加えずとも循環しているという事実です。
 山も森も正しく循環しているからこそ、その姿を大きく変えることはありません。
 その中で、生物はお互いに助け合いながら、つまり、要らないものを吐き出し、それをもらい受けるという連鎖を途切れることなく続けています。
 植物が持つ知恵もなく、虫ほどの貢献もない人間に与えられたのは頭脳でした。働いて食べなさいと。そのおかげで自然をかき乱していまったことに、今、ようやく気づき始めたところです。

 生物の生息環境は一種類がよければすべてよしとはなりません。複合的な相互作用が必要です。
 これしか知らないので、恐縮ですが、例えばホタルが清流に住むといって、人里離れた山奥で見かけるでしょうか。
 ホタルの食料のカワニナは、人の生活圏に生きる貝です。
 ホタル、カワニナ、人間、水。もっとあるでしょう。 
 自然循環の要素は人智では計り知れません。

 地球が大きなビオトープだとすると、人の体の中は小さなビオトープです。
 閉じられた体内ですべての機能が休むことなく循環しているから、生きています。
 ですから、不調を感じたときの対処は、このことを思い出すことです。自然のビオトープは何も与えずに完結しているということを。
 何を食べたらいいのかとか、どんな薬を飲もうかなどと考えるより先に、休むことです。それが、身体への負担を減らす最善策であることを、自然が教えています。