こころあそびの記

日常に小さな感動を

 野鳥が子育ての最終段階を迎えている様子です。
 裂けてしまいそうに口を開けて、お母さん鳥を呼び続けている小鳥を見つけました。
 ママの言いつけを守って、この電信柱に作ったブッシュから出ていかないのです。野生とは、備わったものであることに感心しました。
 

 人間だって、自分のいのちを守ることは命の遺伝子の中に書き込まれているはずですから、教えられなくてもできるはず。それでも、自分流をかき乱される情報に惑わされて、心を病んでしまう事象が散見されるに至っています。
 
 原因は、ルール(規則)だと見ます。
 社会生活にはルールが必要です。だからといってがんじがらめになったら自分を傷めます。
 もし、ルールと愛のどちらかを選びなさいと言われた時、迷うことなく愛を取るということに、躊躇が見られるようになったら、それは潤いのない社会になっている証です。
 ルールは人間を疲れさせる作用があるから、真面目な人、他人を信用し易い人ほど疲弊します。

 ある日の投書欄に、駐輪場で親が娘を叩いてるところに遭遇した。どんなに叩かれても幼い娘は「ママ、ママ」と叫んでいる。それを見た私はつい口を挟んでしまった。その後、私とお母さんは思いを共有して二人して泣いた。とありました。
 いいお母さんでよかった。だから、いい人に出会えました。
 手をあげたのは何が原因だったか分かりません。
 お疲れがあったのかもしれません。そんな事情を汲んだ上で、我慢できず、しゃしゃり出たおばさんの優しさと勇気に救われました。もちろん、素直に他人の言葉を受け入れられるキャパの大きなお母さんにも拍手です。
 こんな社会っていいですね。
 人情という愛が残っていることをうれしく思いました。


 「愛」絡みで先日の人生相談を一つ。

 相談者は初老の女性。
 回答される先生は精神科医の熊木徹夫さんです。
 相談者「先生、私ね、昔の彼氏から会わないかと誘わ   れていますが、迷っています」
 回答「会ったらいいですよ」

 うわっ~びっくりしました。
 彼女の心が会いたい方に傾いていることを見越してのお応えだった?あるいは、いかにも男性的?
 会わずに、いつまでもこそこそと思い出していたい、と思う私は女だからでしょうか。
 
 なんでもいいんです。たとえ燃え滓であろうと、心を温めるものを持っていることが素敵じゃないですか。
 子供への愛でも、異性への愛でも、愛を一つでも持って生きることは、自分を奮い立たせるエネルギーを産み出せるということです。
 ルールはルール。決して自分を楽にさせてはくれません。そんなことを守るよりも、愛するものがある人の方が、どれほど幸せであることか。
 いのちの泉は愛あるところに湧いてくるとは、故あることです。