朝から大阪全域に強風注意報が発令されています。
さっきまで鳴いていた小鳥たちのの声も止み、家中の扉がガタガタと音を立てているのは、恐ろしげなことです。
逆巻く風で、延び放題の梅の木がワッサワッサと揺れています。色づいてきた実が落ちてしまうのはもったいないから、どうかお手やわらかにと外の様子を見ています。
朝刊に、蕪村の『奥の細道』書写の巻物が、また見つかったと出ています。
しかも、今回のものが最古のものではないかと書かれています。
こういう発見が報じられる度に、その経緯が気になります。今回は、所有者が情報提供されたとか。
災害にも戦火にも合わずに生き残っている古文書があることに驚きます。
それにしても、蕪村はどれほど芭蕉を敬慕していたのでしょう。現存は4巻でした。今回は5巻目。一巻が長さ18メートルもある書写と挿し絵です。それを、推定で10巻も書いていたとは、芭蕉愛の表れでしかないように思われます。
芭蕉という人が後世に残した「生きる」道は、今なお読み継がれているのですが、それを、芭蕉が没して直ぐ、交代に生まれてきた蕪村が意味を理解したのは、同じ方を向いていたからでしょうか。
芭蕉が生きたのは元禄時代。蕪村が生きたのは文化文政時代。
戦乱から立ち直って、江戸文化が華やかなりし頃。つまり、今の私たちと同様に戦争を知らない世代だったとあります。
戦いの中で探る「生きる」意味ほど重くはないけれど、平和な時代にあって「生きる」ことを真剣に模索するのも、その意味を明らかにするために役立ってきたことは確かです。
釈迦が生老病死を明らかにしたように。
芭蕉が唱えた「不易流行」はあまりに有名です。
不易は永遠に変わらないこと。流行は時と共に変わること。
この世界はこの二つが循環しています。
例えば、昨日聴いたホトトギスの鳴き声。古代からホトトギスがやってくる時期は変わりません。でも、間もなく季節と共に去っていくことでしょう。
自然循環は春夏秋冬と間違いなくめぐるけれど、決して同じ所に留まることはない。
芭蕉は立石寺から奥羽山脈を越えて越後に至る旅程で、不易流行を確信する事になると、長谷川櫂著『奥の細道をよむ』から知りました。
不易流行を無常と読むか、覚悟と読むか、淡々とした境地と読むか。
蕪村はなんと読んだのでしょうか。
挿し絵からは、芭蕉の到達した「かるみ」が見えるような気がするのですが。
京都国立博物館に急がなくちゃ。