こころあそびの記

日常に小さな感動を

七十の手習い

 田植えが終わって整然と早苗が並ぶ田んぼに、梅雨空が映っています。
 年に一度のこの光景を、今年も見られたというだけで心が和んで、秋の収穫までお米と一緒に頑張ろう!という気持ちになります。
 

 田んぼの周りに張り巡らされた用水路には勢いよく豊かに水が流れています。
 富山和子さんが教えて下さっているように、日本のダムは水力発電所にあるものだけではないのです。
 こうやって、この時期、日本全国に水田というダムが広がっています。こんなに豊かな水に恵まれている。幸せだな。それを実感できるのが、田植えの季節です。


 さて、新しい職場も3ヶ月目に入りました。
 七十の手習い同然の毎日。
 若い人にご迷惑かけないよう、教えてもらうことを躊躇しないよう過ごしています。
 「年をとったら若い人に頼ることも大切」と教えてくれた友人の顔を思い浮かべながら、甘えることも修行の一つと割り切って楽しく働かしていただいています。

 平素は邪魔しないよう口を固く閉じていますのに、若い人が「漢方が得意なんですか?」と訊いてきたのをいいことに、本来のお喋りおばさんという地が出て、ペラペラ喋ってしまいました。

 話しながら、よくぞここまで導かれたという思いを深くしました。


 きっかけとなったのは、子供が西洋薬のない病気を患ったことでした。せっせと漢方薬の勉強会に通いたおしたのに、自分の知りたいことではありませんでした。漢方の薬じゃなくて、と悶々としていたとき、「人間は大自然の一員」という言葉に出会いました。
 薬ではなく、その考え方が好きなのです。これさえ知っていたら生きていけるというエッセンスです。
 そんな思いを抱き続けていたら、ひょんなことから大形徹先生に行き着いたというわけです。
 中国哲学の中には医学に関する古文献が多く含まれています。内邪、外邪を防ぐことは、生きる基本ですから、古代からあの手この手で研究がなされてきました。
 『抱朴子』『千金要方』『傷寒論』などなど、山のような漢字の山を研究されている先生方のお姿を見せていただくことが、励みになります。
 人生、何を思って生きていくか。その根本が揺らいでいては、地に足をつけて歩くことはできません。


 今、大形徹先生と出会って、いつの間にか5年が経過しました。
 言い換えれば、本当にやりたいことにたどり着くのに、65年もかかってしまったわけです。
 夢は諦めないこと。捨てずに抱き続けたら、必ず達する日が来ると書いてある書物をひたすら信じてきて、やっと本当だったと感じるに至れたことは幸せなことです。
 

 中国哲学が服薬指導に役立つかという疑問には、役立ちますと断言します。
 ドクターの守備範囲を外れた所にある患者さんの虚しい気持ちに応えうるものだと思っています。
 様々な疑問にお応えした後、ニコニコ笑顔になって帰って行かれる患者さんの後ろ姿を見送るとき、自分も笑顔になっていることに気づいてうれしくなります。