『芋たこなんきん』の会話に「上六」が出てきました。
通称「上六」は上本町六丁目のことです。
昔は、市電が上町筋を走っていて、上六からまっすぐに南下すると、四天王寺さんにぶち当たるので、線路はお寺の壁に沿って右に急カーブ。幼い頃はその意味が分からずに、電車の揺れに身を任せたものです。
さて、先日、「いくたまさん」の記述を生魂神社と書いてしまいました。
正しくは生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)と云うそうです。
神武天皇が九州から難波津にお着きになったときの創祀という、ありがたい神社です。
上町台地の西の端ががこの地であったことを想像すると、当時の茅渟の海の大きさが忍ばれます。先日、松屋町筋に向かって大きな段差があったわけもよく分かりました。
実際、大阪は古くから、美しい夕日が見られることで有名でした。夕陽丘(ゆうひがおか)という地名がこの近辺に残っているくらいです。
今では、海が後退したおかげで、町中から海に沈む夕日を見られなくなったことは、残念なことです。
大阪話の続きに、難波を紹介したいと思います。
高島屋の前の、今まさに選挙カーに乗っ取られ気味の広い横断歩道を渡って、戎橋商店街に入らず、南海通りに入っていくと、そこは千日前につながる繁華街です。
昔の映画に出てきそうな、という説明は無用になって、観光客が喜んで足を運ぶ場所になっています。
しばらく行くと、右にグランド花月が見える四つ辻があります。昔は左に大劇があったので、そちらが歓楽街の中心だったのに。
大阪の中心がキタに奪われて、一時、閑古鳥が鳴いたミナミですが、しかし、地力のある場所ですから、今では大阪観光の目玉です。
「一時間だけの吉本新喜劇観ていきませんか?」という呼び込みの声が、いかにも時間に余裕のない観光客に受けそうで、その商売上手ぶりに感心したことです。
また、その向かい側では、よしもとのキャラクターカステラが売られています。
次に通るときには、きっと買ってしまいそうな、「しげじいカステラ」。話のねたには最高です。
カステラの匂いにも、お兄さんの誘いにも負けずに通り過ぎて、「道具屋筋」に入っていきますと、懐かしい看板屋さんの電飾や、思わず食べてしまいそうな食品見本が、昔と変わらずにありました。
変わって栄えるのもうれしいですが、昔の雰囲気のままで楽しませてくれる商店街も郷愁を誘います。
二本目だったでしょうか、左に曲がると、なにやら行列です。それも、右側がいっぱいになって、左側に続いているのです。
ひょっとして、この角は昔から、よしもとの楽屋に人気だった「千とせ」というおうどんやさんではありませんか?
あんな小さな店だから、てっきり消滅したかと思っていたのですが、どっこい大人気。
SNSの力でしょうね。若い芸人さんの発信力の大きさを見せつけられるミナミです。
以上、なんばの変遷の一端でした。