こころあそびの記

日常に小さな感動を

乗り鉄ばあちゃん

 
 孫たちが、小中高、それぞれに夏休みに入りました。
 子供の頃、夏休みが始まると決まって母が本屋に連れて行ってくれました。自分が本好きというのではなく、どこかに座って、子ども達が本を選び取るのを辛抱強く待っているだけの人でした。
 そんな経験があるからか、私は今も大した読書家ではないのに、本の中に居ると落ち着くというへんな習性があります。

 これまで、あれやこれやと無駄遣いを続けてきましたが、貧乏浪人となってはそれは慎まざるを得ません。

 そこで、最近は図書館通いです。
 面白い並べ方をしてあって、普段、自分の目には入らないような本に出会えるのが、図書館の魅力です。

 『嫌なことがあったら鉄道に乗ろう』(野村正樹著)に手が伸びたのは、私が乗り鉄希望者だからです。希望者というのは、今からそうなりたいなぁと想っているということ。

 でも、過去には、本に書かれているような冒険もしたのですよ。
 たとえば、JR川西池田から大阪方面ではなく、篠山方面に乗ることは何回かしたことがあります。
 いつもとは、反対方向に乗ってみる。
 それだけで、リフレッシュできます。
 なぜか。それは見慣れない風景のせいでしょう。宝塚駅を出るとそこからは山の中。トンネルを抜けたら突如として眼下に川が現れたり。それを過ぎれば田園風景です。
 それらをボーッと見ていることが癒やしです。

 借りてきた本で追体験したのは、越後線です。
 この春、乗ったばかりの単線に思いを馳せていると、タイミングよく、昨日、『百低山』で「弥彦山」が放送されました。
 収録が同じ時期だったのか、カタクリの花がまだ咲いていたことに感激して、画面に食い入る自分がいました。
 素人登山。自分の足で歩いて登った時の記憶が蘇ります。
 本とテレビから、もう一度いらっしゃい、待ってますよ、と誘われたからには、行くしかないか!

 人生って不思議です。
 もう、二度と繰り返したくないという思いと、もう一度反芻してみたい思いが交錯します。
 何も考えずに、海を見て、トンネルをくぐって、ただ鉄道に揺られているだけなのに、どこか懐かしい気持ちでいられるのはなぜでしょう。
 この世で見た景色はもちろんのこと、ずっと昔、記憶の彼方に残っているものまで、ない交ぜになって旅をしているのかもしれません。

 いつか、乗り鉄ばあちゃんになって、ウロウロ徘徊するかもしれません。本人は夢見心地だから許して下さいね。