こころあそびの記

日常に小さな感動を

プラテーロとラブ

 思うところがあって、万博公園にある日本民藝館に行ったのですが、夏期休暇中でお休みでした。
 そのまま、日本庭園に回るのもなぁと、お向かいの国立民族学博物館に入ってみました
 開館直後ですのに、夏休みの子どもたちで賑わっていたのがうれしいことでした。
 私はといえば、結局、図書館に足が向きました。整理が行き届いた書棚が清潔に保たれてありました。

 ふと、見たことのある字面の背表紙に目が留まりました。
 『プラテーロとわたし』。
 これだ!山本容子さんの銅版画の原作。
 

 早速、読みあげて、あらためて、作者のヒメネスのことを調べてみました。
 スペインはアンダルシアで生まれ、国外を遍歴しているうちにノイローゼになり、故郷に戻って静養しているときに書かれた136編が、この本に納められています。
 原語(スペイン語)の雰囲気はつかみ切れませんが、たとえば、「大自然というものは、尊敬されたときにはじめて、かがやくばかりの永遠に美しい素直な姿を、心ある人にみせてくれるものだ」という言葉(訳)は、世界共通語のように思いました。
 彼はノーベル文学賞を1956年に受賞しています。
 創設者のノーベルは科学だけでなく、理想的な方向性を持つ文学を表彰の対象にしたといいますから、人類の未来を見透す高い理想を掲げた人だったのですね。
 

 詩の内容はプラテーロというロバとわたしの日常なのですが、お花のこと、夕暮れのことなどをプラテーロに話しかける素直な言葉使いが、知らず知らず本来の自分を呼び戻していきます。
 そして、わたしは蘇っていくのです。

 私の愛犬は“ラブ”という黒色のパグ犬です。
 そのラブが近頃調子がよくありません。
 お腹がゆるいのです。
 原因は、オババがやるトマトではないかと家人に疑われています。
 ラブと一緒に庭に出ると、一目散にトマト畑に走っていって、「はやくちょうだい」とせがみます。
 その可愛らしさにほだされて、「一つだけ」とあげます。
 その一粒を口からはみ出さないように、お汁を一滴もこぼさないようにとほうばる姿に、しばし見とれて笑みがこぼれます。
 
 「あかんよ!きっと、トマトのせいやから止めて!」と娘。

 そうですよね。梁平先生に教わったことがあります。トマトはナス科。お腹を冷やします。有毒でイタリアでは必ずソースとして煮込んで食します。
 
 そこで、この2、3日トマトの代わりに、野菜スープを作ってやってます。
 キャベツや人参などの野菜くずを炊いて、上澄みだけをお皿にちょっとだけ入れてやります。
 「シュープ飲む?」と犬語で話しかけたら、もう大騒ぎで喜んで犬語の甘えた声で催促します。 

 プラテーロのご主人と同じ気持ちです。
 犬でも、ロバでも、話しかけてお世話してあげてこそ、心通じるもの。
 心が素直になれる友の存在はありがたいものです。