夏休み。リビングのテーブルで孫が公文のプリントを前に手が止まっていました。
「おばば、勇気ってなに?」と訊ねてきます。
覗いてみたら、『勇気ってなんだろう』(江川紹子著、岩波ジュニア新書)から、「野口健さん」の章が取り上げられていました。
江川紹子さんといえば、あのオウムに立ち向かった勇気ある女性ジャーナリストという印象です。
孫の質問に即答できなかった情けなさはもちろんですが、彼女の著書ということに興味をもって、早速、アマゾンをポチってしまいました。
野口健さんの見出しは「自分に正直に」です。
今でこそ登山家、野口健として活動されていますが、幼い頃にはイジメも経験したとは意外なことでした。
「高い山の上で厳しい気象にみまわれた時には、頂上が見えていたとしても、自分の心が山を下りると決めたなら、それに従う。たとえ、下りてから下界の誰彼に責められることが予想されたとしても負けないで自分に正直になること」
下山の決断は、即断ですから、勇気が必要です。それ以上に、外野の声に打ち勝つ勇気も要ります。
内にも外にも揺るがない自分を養ったものは、憶測でしかありませんが、つらい思いをした幼少期にあったのかもしれないと思ったりします。
同じように「勇気」を自分の信念と捉える人が高遠菜穂子さんです。
「勇気とは・・何だろう。結局は自分の信じたことにこだわることではないかな。周りの同意を得られないと、自分が傷つくのが怖くなる。そんなときは、自分の一番大事な価値にこだわる。私は命にこだわると決めた」
と答えておられます。
マザーテレサのもとで生死を目の当たりにしてきた彼女の命のこだわりは、こういうところに行き着きました。
「死は生きることの対極にあるのではなく、いかに生きるかということの延長なんだとわかってきた。それは、命をどう使うか、どう生きるかなんです。
死を怖れて一日でも長く生きるということに全力を傾けるのではなく、今の命を100%生ききる方が理想なんだと思うようになりました」
人並みはずれたキャパを持って、自分の足でこんなに遠くまで歩かれたことに感心しました。
この本には6人の勇気が載っています。
しかし、それにもまして江川紹子さんの「勇気」はどのように培われたのでしょう。どうして女独りで、そんな荒海に漕ぎ出されたのでしょう。
やめときなさい。どれほど止められたでしょう。数え切れないくらいの中傷や嫌がらせに合われたことは想像に難くありません。
それでも、自分の信じる道を一つに定めて生ききる強さに脱帽します。
こういうのを天命に従うというのですね。
あとがきで、「誰の中にも”勇気の種“があるのではないかしら」と書いておられます。
高齢になり、外圧へ勇気を奮うシーンはなくなりつつあります。
それでも、”いのち“に対する勇気は、これからが出番の時を迎えるはずです。
「今朝も手足が動く」と目覚めるありがたさに感謝して、生ききりたいものです。