「人の親の心はやみにあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな」
中納言兼輔の名歌です。
誠に子を育て上げることは、誰にとっても手探りであります。
私は本当に子育てが下手な母親でした。
順調に育っているように見えた長男を途中で発病させてしまったことに悔いて、反対に、体の弱かった次男を「健康でさえいてくれたら」と甘やかして、不器用な子育てをしてしまいました。
人は育てられたように育てるといえば、それは、自分の親に責任転嫁していることになりますから迂闊には申しません。
ですが、体力任せの強引な育て方は、どこか遠くの記憶がそうさせたのか。あるいは、初めての子育てだったのか。いずれにしても、子ども達にとっては過酷な母親でした。
先日、白浜で宿泊した際に、私がバタンキューと先に寝た後、若者たちは深夜までゲーム遊びに興じたそうです。
ゲーム終了後、次男がしみじみ語ったという言葉を娘から聞いてツンとしてしまいした。それは、今まで知らない彼でした。
彼(次男)は、「僕は高校生のとき、全く勉強しないで、専門学校に行った。もう後がない自分は、そこでは必死に勉強した。就職は高校までの教養科目が他の皆よりできたから、ANAに入れた」と話したそうです。
専門学校専願の彼に私が「最終学歴は専門学校でいいの」と何度も確かめたと、当時、横で聞いていた娘の証言もあります。
それでも、その時の彼は、にこにこ顔でしたから、当然、その状況に満足しているものと思っていましたのに、焦りがあったことを知りました。
一人、岐阜の山の中に置いてきぼりにされた夜から、彼は考え始めたのでしょう。
これから、どうしようと。
あんなに弱かった子供が粗食に耐えて元気な身体と精神を手に入れました。
小学校一年生の担任の先生が「お母さん。この子は弱くないですよ」と予言されたとおりになりました。弱いと信じて疑わなかった母を許してください。
自分と葛藤して一つ目のハードルを越えた話をしたのは、高校生になった甥っ子への餞の言葉と思われます。自分の轍を踏んでくれるなよと。
十代のうちに人知れず、そんな思いにさせてたことさえ気づいてやれなかったとは申し訳ないことをしました。
しかし、身体のこと、勉強のことなど、自分の力で越えたことは、必ずこれからの歩みの助けになることでしょう。
ことわざ「かわいい子には旅をさせよ」は昔も今も変わらぬ名言です。
子育ては親だけで出来るものではなく、たくさんの方々に助けられて成るものだと、今頃になってようやく身に沁みます。
彼の袖を引っ張ってお導き下さった皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。