海に行くことは、健康面で大きな効果が期待できます。
「潮ごり」、「潮浴(しおあみ)」、「潮湯治(しおとうじ)」という言葉が残っているように、源実朝、鴨長明なども海水療法で病を治したそうです。
海に入らなくても、浜辺で波の音を聞き、海と空を区切る水平線を見て過ごすだけで元気になるのは、私たちが海から生まれてきた遠い過去に戻れるからというのもあるでしょう。
「人間は一日に一万五千リットルの空気を吸います。「海気浴」することで、海の空気をいっぱい吸うことができます。
それによって、神経の興奮が収まり、神経が正常にもどります。」と、『空の歳時記』(平沼洋司著)で教わりました。
海に行くと元気になるのは、そういう意味もあったのですね。
シュノーケリングで海の底を見たのはサイパン島でした。もう何十年も前のことです。
以後はチャンスがなく諦めていましたのに、今回、近眼用ゴーグルを手に入れまして、海の中を見る楽しみをゲットしました。
すごい!
海底に映る波紋の美しさにうっとり時間を忘れました。揺れる波に太陽光が当たって、海底のスクリーンに模様を映し出しています。波紋専門の写真家になりたいくらいでした。
白浜の海岸は所々に温泉が吹き出しているため、熱帯魚も泳いでいるんです。蛍光色の青くて小さい魚たちが群れていたり、
大きいサバが群で通り過ぎたり。
小ぶりのイカも海藻に食らいついてエンペラーを小刻みに揺らしていました。
こういう時間を過ごすと、魚たちと自分の区別がなくなってきます。海で共に遊ぶ仲間です。
『荘子』に「魚の楽しみ」という話が出てきます。
荘子「魚たちが楽しそうやな」
恵子「お前は魚やないのに、なんで
楽しそうとわかるんや?」
荘子「そうやで、俺は魚やない。けど、
お前初めに俺に言うたな。なんで
魚が楽しそうとわかるんやと。と
いうことは、お前は俺が楽しそう
と思ってることをを知って尋ねて
きたんと違うのか?」
この話は、湯川秀樹博士が好まれて、『知魚楽』と度々色紙に書かれた一節だそうです。
絶対の論理的世界に住まわれる博士が、直感とか心を大切にされたことが分かるエピソードです。
魚と一緒に泳いだ経験が楽しいものだったので、『荘子』の言わんとすることが少し理解できるような気もします。
あるがままの姿は、言葉や論を飛び越えて、体と心が感じるものであり、それが真実ということでしょうか。