こころあそびの記

日常に小さな感動を

晴れたらいいね!

 傘の心配せずに出かけられるのは久しぶりです。
 雨上がり、湿気をたっぷり含んだ重たい体を乾かしがてら、歩きました。
 自然のページは毎日更新されていますから、新発見はその日限定のものもあって、お得なこと限りなしです。
 刷毛で書いたようなすじ雲が、空の高さを知らせています。

 街路樹の椿の実がこんなに立派に実っています。色合いが素敵。

 これまた街路樹のマテバシイのドングリが秋を待っています。これは、去年の花が実ったもの。追い越したりせず順番を守る自然はえらいです。

 一度は別れたのに、再会しちゃったなんて、どんな事情があったのかな?

 あなたは春派?それとも、秋派?と訊かれて、春と答える人は「万葉叙情派」で、秋と答える人は「平安情緒派」だそうです。

 勅撰和歌集が編纂された平安時代は、中国から取り入れた文化を、国風文化に作り直しました。
 漢字から平仮名や片仮名を生み出し、女性歌人を排出した時代でもあります。
 そしてなによりも、ハイソサエティでは教養の高さを競い合ったことが、「古今集」をはじめとした和歌集に現れています。
 勅撰和歌集からとった「百人一首」をみても、作者はお知り合いばかり?であることに、驚きます。
 生活にゆとりがあるから、「秋」に寄せる心に余裕があって、自分が持ち合わせる教養を駆使し尽くします。
 
 翻って、万葉集は、ハイソだけの歌集ではなく読み人しらずのものまで、幅広い民衆の歌が収められています。
 その頃の人々の教養はどのように培われていたのでしょうか。

 基。万葉集は朴訥に、古今集は教養を競う。
 だから、より美しく詠まれた歌を好む人は平安情緒派というわけです。中でも、秋は修飾の仕様が難しい。

 百人一首から素直な秋の歌を一つ。

 夕されば門田の稲葉おとづれて
 蘆のまろやに秋風ぞ吹く
            大納言経信

 万葉集から一つ。

 秋風は涼しくなりぬ馬並めて
 いざ野に行かな萩の花見に
           読み人しらず

 直接的な万葉集が好きです。
 ドリカムの『晴れたらいいね』も、「山へ行こう♪~」と歌います。
 さぁ、出かけよう。萩の花も咲き始めたことですし、万葉人と同じ気持ちで参りましょう。