三伏をつつがなく過ごして、今日、脱出することができました。
二十四節気では「処暑」。
暦の上では晩夏極まる頃となりました。
蝉に変わって虫の声。涼やかに奏でる秋の音です。
緑陰を提供していた街路樹も少し色褪せたように見えます。
車の中で、『男性が心配』という本を書かれた先生がお話されていました。
確かに男性受難の時代だと感じています。
男女平等社会と叫ばれて何年になるでしょう。
”平等“に適合させるために、男の子に裁縫を、女の子にトンカチを練習させる。それは、よしとしましょう。
しかし、男らしさや女らしさまで口にしてはならないというのは、どこかへんで、いつかしっぺ返しを受けるとは思っていました。
何度も引用して恐縮ですが、昔、「男の子は真綿に包んで育てたらあかんよ」「あんたは男や、男やいうて育てなあかんよ」と助言してくださるお節介なおばさんがおられました。
男性女性の差別はいけないといいますが、同じであるはずがありません。もしも、同じなら、そもそも性差ない体であるはずです。
男は戦いに有利なように瞬発力が、女は子育てに耐えられるように忍耐力や持久力が特質です。
女は子を守るために、そんじょそこらの妨害に屈するほど柔ではありません。が、男の子は母親という女性が育てますから、男の子がかわいくてたまらない母親に育てられると優しさが助長されてしまいます。
だから、町で出会ったおばさんは、声をかけてきたのでしょう。「真綿で包んだらダメ!」と。
昨晩、中野信子先生が仰っていたことはこれを実証しています。
「男は鉄砲を持たせるとテストステロン(男性ホルモン)が十倍にはね上がる」。
男を、男に仕立てるには、工夫がいることが分かります。
男らしさは、持って生まれたものではないのです。言い続けてやらねば、男になれないのです。
今の子育てでは禁句とされている「男らしさ」は、社会に出たら即刻要求されます。そりゃ戸惑うことでしょう。
引きこもり、自殺、同性愛・・。
男の子は壊れやすいからと優しく育てるのではなく、鍛えてやらないと後で困るのです。
平等社会が成熟に向かうためには、性差のより深い理解が必要だと思っています。
このままでは男性受難時代にまっしぐらだという心配が、杞憂に終わればよいのですが。