こころあそびの記

日常に小さな感動を

母の残した宿題

 

 真夜中、雷を伴った激しい雨で目が覚めました。その後、夜が明けて、家人の登校、出社時刻になっても断続的に恐ろしげな雨が降り続いています。
 すでに家の前の道は川と化し、側溝からは水が噴き出している有り様です。
 向こう一週間は、こんな状態が続く予報がなされています。
 天に祈るばかりです。

 雨で閉じ込められたから、ゆっくり過ごすことができます。動かなくちゃという縛りのない静かな時間です。
 母が残していった朱印帳を開いて、足跡を追っています。
 娘二人を嫁がせ、親の勤めを終えた直後の二、三年の日付が打ってあります。
 この「西国三十三カ所霊場納経帖」は、一番から三十三番まで、お寺の説明とご詠歌が予め印刷されていて、まだお参りしてないお寺を探す手間が省ける代物です。
 参詣の日付を見ると一日に何ヶ所も回ったことが分かります。
 それは、母の意向というより、父の魂胆であったことでしょうが、母はそれを知っていたかどうなのか。
 
 私自身はご朱印をいただくことに拘る質ではありません。ただし、朱印帳は数冊も持っています。なぜかというと、綺麗な朱印帳を見るとつい買ってしまうのです。罰当たりなことです。

 朱印帳なんて、と思っていた私ですが、両親が亡くなったとき、長年の汚れを払うため仏壇を磨いてもらったことがありました。。  
 その解体作業中、仏壇の中から煮染めついた古い朱印帳が出てきたと、作業の方から渡されたのは、今では見かけない小型の数冊でした。
 日付は明治、大正。行き先は伊勢から伊豆や箱根まで、広範囲でした。
 戦争と貧しさばかりの苦難の日々を送っていたのではという思いは吹っ飛びました。楽しく旅行に出かけていたことを知り、うれしくなったし、元気をもらえた気がしたのです。
 
 朱印帳の価値は本人の記録に留まらず、後世の誰かを元気にするものでもあることに気づいた出来事でした。
 

 母の西国三十三ヶ所は満願しています。
 その朱印帳に重ねてあったのは「新西国霊場宝印帳」です。
 同じ装丁で、一番から三十三番まで印刷されています。
 まっさらかと思っていましたら、「水間観音」だけお参りしてありました。
 それ以後は、父に頼んでも連れて行ってもらえなかったことを察するに、また胸詰まります。
 この世で頼れるものが父しかいないところまで追い込んだ自分の浅はかさを恨めしく思ったりします。
 が、生前にもっと心を近づけてあげられたのではというのは、未熟な自分には無理なことでした。
 せめて、この朱印帳の残りは参って満願にして母に報告できたらと思ったりしています。