こころあそびの記

日常に小さな感動を

片雲に誘われて

 庭でアキアカネが群舞しています。
 そんなとき、思い出すのは、
 「とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな」
 という中村汀女の俳句です。
 
 トンボは前にしか進めないから吉兆の印というようですが、そんな遠い存在というよりは意外に人懐こいようで、最近、よく手にとまってくれます。
 上のボケた写真も、犬のリードにとまったところを、焦って撮ったシオカラトンボです。
 先日など、目の前で小さい虫を食事するところを見てしまいました。
 以前は残酷なことから目をそむけたものですが、今は家中にクモが出ても驚かなくなりました。それも自然の摂理と思えるようになったせいかもしれません。

 ところで、旅心というのは突然ふってわくものです。
 昨日、大形徹先生が宮崎で講演されると連絡が入るやいなや、お尻がうずうずと落ち着きません。
 というのは、今年こそお目にかかりたいですとお約束していた方が宮崎におられるからです。
 毎年そんなこと言ってるので、あちらも期待はされていませんでしょうが、それでも、何か触発するものがあれば動き出してしまう性分です。今回は「宮崎」に動かされています。

 宮崎県綾町の郷田紀美子さん。
 もう先にお訪ねしてから6年です。なぜ、そんなにきっちり覚えているかというと、郷田さんの近くの窯で焼いたお茶碗の裏に日付が打ってあるのです。
 この宮崎焼が堅くて、粗忽者の私が使ってもこわれないのです。
 
 学者の大形徹先生と綾町の郷田紀美子さんと私。
 なんの関係もなかったのに、ある日、大形先生と出会い、先生が照葉樹林研究会をされていたことから、郷田さんと結びついてしまいました。
 人は人と出会うことさえ奇縁なのに、そこから更に輪が広がることもあるのですね。世間の狭い私のような人間には、貴重な経験でした。


 そんなことで、朝から旅心に火がついて出かける算段ばかりしています。
 行きたかったところをピックアップしたり、時間の調整をしたり、宿の選定など、なんと旅に出るということは心躍らせてくれるのでしょう。
 思いつきですから、行けなくてもいいんです。予定は未定であって決定ではない、と中学の先生がよくおっしゃってました。
 そのワクワク感を楽しむことが、心の栄養です。

 今はこの計画が不発に終わっても流せますが、本当に行けなくなる日がやってくることはわかっています。
 そんな日にも、仮想旅行するだけで、夢見心地になれるやわらかい心を持ち続けることが目指すところです。