今朝も下弦の月が浮かんでいました。おばあさんがキョロキョロしている様は、異様な光景でしょう。変な人と。
でもね、ちゃんと上半分に太陽が当たっている宙のドラマを想像するにつけ、その壮大さが胸に広がる思いがするのです。
地上を忘れるひとときです。
雲一つない晴天には文句のつけようがないのですが、雲があるから詩心も生まれます。
枕草子の「春はあけぼの~紫だちたる雲の細くたなびきたる」しかり。
佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」もしかり。
雲があるから、情景に奥行きが出ます。
そうは言っても、文学的なセンスは持ち合わせておりませんので、空の上から見てきたことをご報告したいと思います。
先日の宮崎行きは、朝一番の飛行機で伊丹をたちました。
飛行機に乗ることは、なんと人をドリーマーにするのでしょう。初めて乗る子どものように窓にしがみついて外を見ました。
樹氷のような雲が乱立する平原は、アラスカのようでしたし、かなとこ雲の上限が、きれいに揃っている様は、1万メートルの境はあそこにあることを教えています。完全に子ども心になりきって、はしゃいだことです。
外国へ飛ぶときには、1万メートル上空を飛びますから、すべての雲は眼下に見えます。
しかし、先日の宮崎行き国内線では、5000メートルあたりを飛行していたのではないでしょうか。
なぜなら、上にも下にも雲があったからです。上層雲は絹雲、下に見えるのは、綿雲たちです。雲に挟まれて中空を飛んでいる面白さを体験しました。
ところで、以前、雲の写真集を見たとき分からない言葉が出てきました。高い山の上か飛行機からなら見られると書いてあったので、自分には縁がないと諦めていたのが、「地球影」です。
それを、探したわけではありませんが、九州の方角(西)の水平線に暗い帯が見えました。
素人考えで、あぁ、あそこはまだ夜で、今から明けていくところなのだろうと、地球の回転の不思議さに思いを深くした瞬間でした。
帰ってきて調べたら、それが「地球影」だったのです。感激!
私には無理と思ってたことが、叶えられたのです。こんなうれしいことはありません。
人は生きている間、一つでも二つでも心に思ったことを叶えることができる。その体験談をお伝えしたくて記しました。