こころあそびの記

日常に小さな感動を

秋支度

 酔芙蓉。

 朝、真っ白に咲き始めて徐々に色づき、夕方には紅色に染まります。

 たおやかな名前とはうらはらに、生命力が凄まじい樹木です。毎年、咲き終わったら、地面近くまで枝を伐採してしまうのにぐんぐん伸びて蕾をたくさんつけます。咲かしてやる!という声が聞こえてきそうなたくましい木です。

 

 

 今朝のグレートトラバースで、岩手県の「姫神山」が紹介されていました。

 啄木はこの故郷のことを数多く詠んでいます。

 「目になれし山にはあらねど

   秋来れば神や住まむと

      かしこみて見る」

 自然が収束に向かう秋は、なぜか人の心も内省的になります。

 春の希望でも、夏の発散でもないことに、人と自然が連動していることを感じます。

 高く澄み渡る空の果てにある山が、いつもより神々しく見える。そんな感性を啄木に学びました。

 

 

 今朝の大阪の気温は20度を下回り、上着を着て丁度よい涼しさでした。

 寒さを感じ始めると、何がしたくなりますか?

 去年のブーツを履いてみる。

 コートを出す。

 こたつの準備をする。

 冬布団や毛布の点検。

 あれもこれもという忙しさの中で、束の間のティータイムにはホット紅茶を淹れたくなりませんか?

 紅茶は温性です。気温が下がると、自然に体が要求するものに変化が出てきます。そこに、シナモンや生姜など温性の食材を加えるとより効果的でしょう。

 ところで、体が外気温の変化に即応するのは本人が意識せずともなされます。

 寒いと思えば汗腺を締め、暑いと感じたら汗腺を開くというように。

 命令もしないのに、人知れず秋バージョンに変化してくれている体を認めることが、いのちをよろこばせることだと思います。

 サプリメントの足し算なんかより、体にとってはるかに嬉しいご主人様からのほめ言葉。

 私を見て!は、生きとし生けるものに共通の欲求であるところが可笑しくもあります。

 

 

 涼しくなると、私は毛糸玉を抱きたくなります。

 夏から編み始めたら焦らずにすむのに、秋の入り口に来て、ようやく重い腰を上げます。

 何を編むかはどうでもよくて、とりあえず、ターシャさんの真似をして毛糸玉をそばに置いて、暖かい気持ちになりたいだけなんです。

 当節は、YouTubeという便利なものがあるので、動画を見ながら直ぐに編めてしまいます。

 

 

 今年第一号は帽子です。数時間で完成しました。

 毛糸の帽子は、さすがにまだ被れませんが、被れるようになる日は、直ぐそこに。

 楽しみだなぁ。冬よ来い!早く来い!