朝の光に誘われて、近所を歩き回ってきました。
今日のお仕事は、犬の餌を買うことと、「修理できましたよ」と連絡をもらったリュックサックを取りに行くこと。そして朝の空気を胸に満たすことです。
この三つ以外に心に引っかかりがないなんて、なんと幸せなことなのでしょう。
途中、池のほとりの樫の木の下で、ポトリ!という音を聞きつけました。その間の取り方に余裕を感じるリズムでした。
見つけたら拾ってしまうのは、古代に生きた証でしょうか。
つやつやした見事なドングリを拾っていたら、「何してるの?」とおじさんが話しかけてきました。
「あっ、ドングリか。気ぃ付けや。」
斜面に這いつくばる老女を心配してくださったのですね。ありがとうございます。優しいお声掛けができる男性でした。
『どんぐり』
どんぐり山で
どんぐりひろて、
お帽子にいれて、
前かけにいれて、
お山を降りりゃ、
お帽子が邪魔よ、
すべればこわい、
どんぐり捨てて
お帽子かぶる。
お山を出たら
野は花ざかり、
お花を摘めば、
前かけ邪魔よ
とうとうどんぐり
みんな捨てる。
金子みすずさんの詩です。
どんぐりを見つけたら拾いたくなる少女時代の童心は、誰でも、いくつになっても変わりないものです。
人は、そうそう本質を変えられるものではないと思うのは、自分の経験からです。
叩かれて凹んでも、踏みつけられてぐちゃぐちゃになって、もう自分ではなくなったと自己放棄したとしても、その実、裸の自分は幼かったときのままであることを何回意識したでしょう。
そう思えた瞬間から、また立ち上がれるのです。自分の中にいる自分はちっとも変わらない。成長という経過とは無関係な自分です。
世の中には、愛情表現が上手な人と、下手な人がいると思います。
「愛」を持ってはいても、表現の仕方が分からないと云うのでしょうか。
でも、どんなに下手くそでも、今、幸せだと心から感謝することができる人には「愛」があるといえるのではないでしょうか。
次に生まれてくるときは、愛し上手になっていたい。それも、一つの目標です。
どんぐりを拾いながら思ったことです。