孫の中間テスト二日目。
朝5時に外に出てみると、天文薄明から航海薄明にゆっくり移りゆく空がありました。
冬の中心星座、オリオンと一等星のシリウスがキラキラと瞬き、天頂には、火星が存在感を保って赤く光っています。
庭を一周するたびに、消えていく星、星々。そんな時間です。
あぁ、私が好きな季節がやってきた。と、夜明け前の星空に酔いしれたことでした。
お兄ちゃんの今日のお弁当は牛肉の甘辛煮、たらこ入りの玉子焼、新レンコンと人参のポンマヨ、ほうれん草のゴマ和え。
閑話休題。
実は、私、只今、術後三日目なんです。びっくりしないで!小さな粉瘤を切除してもらっただけですから。
もう十年以上前に、一度、切除してもらった粉瘤が再発して、近頃は、椅子に腰掛けるときにも、気をつけないと当たってしまうほどの大きさになってしまいました。
切除という選択肢がちらつき始めたものの、まぁ、いいか、あと僅かの辛抱と思って過ごしていました。
どうせまた再発するなら、というあきらめがあったのも事実です。それ以上に、お任せできるお医者さん探しがポイントでした。
その医者の選択と切除の顛末は、お腹がよじれるほど面白くて、いつかお話したいと思います。
粉瘤は背中の真ん中にドンとありましたので、過去に漢方医から、「督脈(とくみゃく)の上やからね」と、渋い顔されたことがあったことも、踏ん切りがつかない理由の一つでした。
督脈とは、お尻から背骨を伝って、頭から上唇まで上昇する気が流れる道です。
この道を切断しているのが、今の状況です。西洋医は意に介さずとも、知る者にしては、ちょっと恐ろしげです。
ところが、切りました。直ぐ立ち上がりました。そのまま歩いて帰ってきました。
一服させてくださらないの?と申し上げる間もなく退出して、麻酔が残る身をふらつかせながら、なんとか帰宅できたのは、我ながらよくやったという気分です。
さすがに、当日は痛かったのですが、次の日から、普通に日常に戻り、お弁当作りも買い物もできました。
そうそう、粉瘤切除くらいなら、普通はそうなのですが、なんといっても先生も見たことないというゴルフボールよりも大きい粉瘤だったので、10針以上縫合してあります。痛たたたぁっ!
それは、さておき、この経験が私にあらためて、人間の治癒力の実力を思い知らせてくれました。
自然界で生活している動物は、お医者さんに診察してもらうでもなく、怪我をしても、敵に食いちぎられても、じっとして自然治癒を待つといいます。
同じことがこの高齢の人間にも、しっかり備わっていることを実感しています。
生きてるということは、すごいことです。
人は生きているという大切なことを忘れて、病を他の何かに頼って治そうとします。
今、背中の傷がどんな具合かは見えないので確かめようもありませんが、懸命に治そうとする力が与えられていることに感謝して過ごしたいと思います。
先般、友人の一人が闘病される報に接しました。
彼女にどんな言葉かけをしたらよいのかと、そのことが心から離れることのない毎日でした。
そんなとき、すっと入ってきたのが、土光敏夫さんの言葉です。
「昨日を悔やむこともしないし
明日を思い煩うこともしない
あらたに今日という清浄無垢な日
を迎える
毎朝、今日を精一杯生きようと誓
い、全力を傾けて生きる」
今日という日に生まれてくるあたらしいいのちを信じて、精一杯生ききることが、体と心を健やかにしてくれる。自分のいのちが治してくれる、という忘れてはならない大切なこと。
小さな手術から学んだ大きな教訓です。