こころあそびの記

日常に小さな感動を

秋の空

 

 昨日は、あまりに美しい空でした。

 高い空には、東の方から放射状に雲が広がっています。

 飛行機だってコントレイルを残せないくらいに爽やかな朝でした。

 気持ちのよい秋の気を深く吸い込みながら、旧の西国街道と千里川沿いを歩きました。

 

 

 稲刈りが間近です。

 稲田の一角を手作業で刈り取っておられる方に、的外れな質問をしてしまいました。

 「あの~すみません。その刈り取りは出来具合をみるためにされているのですか?」

 何のことか分からないといった様子で、頬被りを少しずらして、

 「機械を入れんといかんから」と、応えて下さいました。

 稲刈りを経験したことがないものですから、ごめんなさい。

 

 

 少し行くと、コンバインを田んぼに入れるのに難儀されてるお二人を見かけました。

 狭い畦道です。お一方が脱輪しないように左右を確認誘導されて、やっとのことで田んぼに辿り着いても、前進と後退を繰り返して苦労されている様子でした。

 そして、素人の私にとって何よりも印象的だったのは、コンバインで取りきれずに落ちている稲穂の一本一本を拾われていた姿です。

 米作りとは忍耐の産物であることを、目の当たりにして、米作りは人作りとは、こういうことであったと知ることができました。

 田舎の人が優しいという出所は、この丹念な仕事にあることが、察せられたことでした。

 当たり前のように、毎日いただいているお米。もったいないことです。

 新嘗祭や秋祭りで感謝を捧げる意味への理解が深まったように思いました。

 

 

 視線の先に、畦道を先生に先導されて歩く、校外学習の小学生の一群が見えました。

 立ち止まって、なにやら稲穂について先生から説明を受けている様子です。いいなぁ。箕面の子は。

 今日教えてもらったことを全部忘れたとしても、この光景が脳裏のどこかに残るはずです。

 稲穂の匂いと黄金色。

 覚えておいてね。

 

 

 

 昨日の圧巻は夕暮れの残照でした。

 朝とは反対側の西の空からたなびく雲の群が茜色になって、まるで全空間が染まったような瞬間に出会いました。

 たまたま、犬の散歩に出ていたから遭遇できました。

 刻々と変化していく空を追っかけて、数十枚もスマホカメラで撮りました。

 「しまった!あっちの坂道の方がよかったかな。間に合うかな」と、丘の上をウロウロしてしまいました。

 最後の残照が最も色濃くなります。

 その一瞬を大形先生のグループラインに上げたら、同時刻に先生も上げておられたことに、千里同風。同じ景色を分け合ったことをうれしく思った昨夕でした。