こころあそびの記

日常に小さな感動を

「もものとこだけ時間のはやさが早送り」

 

 朝一番に出会った言葉が、一日を動かすことがあります。

 今朝、目にした十歳の坊やの詩心に感動してしまいました。

 大人の事情で全文は書き写せないのですが、前段は、桃を切ってもらった。でも、好きなものだから、最後に食べようと置いていた。

 かわいいですよね。うちの子供も、好きなものは、最後まで手をつけない派でした。意地悪く、取り上げると泣き出したりして。

 この坊やも取って置いた。

 そこで、大発見をします。小さな科学者です。

 茶色に変色してしまう様を見て、

 「もものとこだけ時間のはやさが早送り」という言葉で驚きを表現しています。

 見たことを感じた通りに言葉にできる坊やの感性の完成度を頼もしく思いました。

 

 

 桃の切り口が切って間を置かず茶色に変色することを、大人は酸化という理屈で、簡単に済ませます。

 しかし、物質は酸化することを、目で見える形で知らせるというアイデアは、実に恐れ入ることです。

 科学者であろうとなかろうと、このような自然の巧妙な仕組みの奥深さには興味が湧きます。

 坊やが気づいた日常の驚きを、できることなら私も失いたくないなぁと、朝から新鮮な気持ちになれました。

 

 

 さて、1992年といいますから、今から30年前に発刊された話題作『象の時間ネズミの時間』を思い出してしまいました。

 象が一分間に打つ拍動は20回。それに比べてネズミは600回も打つといわれます。そして、体の大小に関わらず、心臓が15億回拍動すれば、寿命は尽きると決まっていることにも驚いたものです。

 つまり、象の寿命が70年で、ネズミの寿命が2~3年ということになります。

 短命のネズミはかわいそうと思わなくてもいい。そこが、ミソです。

 生物の種類によって、時間の経過感覚が違うからです。

 同じ高さの木から落ちるとき、象は何も考える暇がなく落下するのに、ネズミはたくさんの考え事ができるといいます。

 人間、象、ネズミ。それぞれの時間のはやさが違うということから、ひょっとしたら、年齢差や個体差もあるのかなと思い及びました。

 

 

 概ね、子供時代の方が大人になってからよりも、時間を長く感じるとは、よく耳にするところです。

 また、もっとゆっくり生きなさいといわれても、バタバタ過ごしてしまう人がいる一方で、のんびり屋さんには、せわしない人の行動の意味が分からない。

 すべての人が同じスピードで生きなければならない決まりはありません。

 ただ、先を急いで結果を求めようと無理して走ることは、心臓の無駄遣いになります。

 そう考えると、老齢になれば、否応なく何をするにもゆっくりしかできなくなることも、神の恩寵の一つかもしれないという結論に達して安堵したことです。